2007年10月3日


 かつて「昔陸軍、今総評」といわれた労働組合ナショナルセンター・総評の事務局長で、国労〈国鉄労働組合〉出身。合化労連出身の太田薫議長と並んで太田・岩井コンビといわれ、反米反安保闘争、三井三池闘争、春闘など戦後労働運動の先頭に立っていた人です。

当初は民同派〈民主化同盟〉とよばれ、労働組合の支配をめぐって共産党と厳しく対立する立場でした。

その岩井章さんが昭和30年代前半に私の町内に引っ越してきたのです。

そこの長男と小学校で同学年でした。

夏の朝、ステテコ姿で散歩している姿を覚えています。犬を連れていたような気がしますが、その頃、歴史的、政治的に大変な仕事をしていたことになります。

当時、社会党書記長の浅沼稲次郎が大日本愛国党山口乙矢に刺殺されるという事件〈大江健三郎「セブンティーン」はこの事件を小説化したもの〉があり、自宅が近くの交番と非常ベルでつながっているという話を聞いて驚いたものです。