2010年4月17日(出来たて)
「(萩原朔太郎は)ニーチェの到達した境位の高さを認めつつも、完全には自己のものとしてはそれを理解しきれなかった」
「朔太郎の現実である日本には……ニーチェの思想を追体験する基盤も欠けていた」
「始めから思想の中心をもたなかった朔太郎のニヒリズムは、それを克服する契機もまたその中にもってはいなかったのである」
杉田弘子の大著「漱石の『猫』とニーチェ」の「第5章 萩原朔太郎、ニーチェの熱狂的崇拝者」の中の文章です。
萩原朔太郎について、私は高校の現代国語の教科書での詩一篇を知るのみですが、それにしても激しい葛藤、苦痛、苦悩の人生が、かくもスパッとみごとに一刀両断で説明しきられるのを見ると、朔太郎に同情を禁じえないとともに、自分自身が深刻に真面目ぶったとしても、それこそ歯牙にかけられることもなく、木っ端微塵に粉砕されるだけにすぎないという、自虐と警戒の念を持たないではいられません。
「後世畏るべし」とは、将来の知恵ある人々を想定して謙虚であるべきとの教えだと思いますが、後世は知恵あるのみならず、より大きな歴史のパースペクティブで過去を見ることができるでしょう。現在の賢人諸氏もおそろしいですが、知識情報を更に蓄えた後世の人々はもっとおそろしいものです。
なお、杉田弘子は「第5章」の最後で「その資質に従って自らの思想を生もうと苦しみ、時代を生き抜いたこの詩人の誠実さに、筆者は限りない懐かしさを感じるのである。」とし、萩原朔太郎に礼を失しているようなことはありません。念の為。