2008年1月8日
つい最近、新しく本通信の読者に加わったYさんから参加に当たって次のようなメッセージをいただきました。
「 私の個人的な関心事は、『共産主義はイヤだけど、資本主義だって欠陥だらけ。もっといいシステムはないの?』ということです。
‥‥‥‥‥‥‥
我々にとって最適な社会のシステムとは何なのか?
これを考える上でのヒントをこの連載でご教示いただけるのではと、期待しております。」
Yさんのメッセージにある問題意識は、1891年ローマ法王レオ13世の「レールム・ノヴァルム」のサブタイトル「資本主義の弊害と社会主義の幻想」及びその100年後、1991年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の「レールム・ノヴァルム」の主旋律(文化勲章受賞の経済学者宇沢弘文の表現)「社会主義の弊害と資本主義の幻想」という2つの言葉に表わされた問題意識と軌を一にするものです。
「レールム・ノヴァルム」とは、世界が直面している本質的問題は何であるのかについてのローマ教会の認識及びよりよい社会を構築するために必要な心構えをローマ教会が全世界の司教に対して通達する文書のことです。
100年を隔てた2つの文書の問題意識を併せて考えれば、現実の資本主義も現実の社会主義も深刻な弊害を産み出し、それぞれがそれぞれの解決策たることを標榜しつつも現実の弊害によってその解決策たりえないことが暴露され、その理論の非現実性、幻想性は覆いがたい状況にある、如何にこの状況に対処すべきか、ということになるかと思われます。
1991年の「レールム・ノヴァルム」の「社会主義の弊害と資本主義の幻想」という問題意識は、前出の宇沢弘文がロシア東欧社会主義圏の崩壊と一方での資本主義圏における市場原理主義の跋扈を前にしてローマ法王に提起した問題意識です。
そして宇沢弘文は、問題を提起しつつ、その解決の方向としての大きな枠組みをもまた我々の前に提示しているのです。
そのキーワードは「社会的共通資本」です。
この「社会的共通資本」とは次のような考え方です。
人々は財とサービスの供給を受けて生活していますが、その財とサービスを市場原理(=私企業による営利追求)によって供給されるべきものと市場原理に委ねてはいけないものとに区分する必要があり、その供給を市場原理に委ねてはいけない財とサービスの供給に必要な諸々の資源を、「私的資本」に対して「社会的共通資本」と名づけるのです。
現在は市場原理に委ねられていますが、「社会的共通資本」として位置づけられなければならない分野の例として宇沢弘文が指摘しているのは教育と医療であり、また今や環境問題の深刻化によって環境それ自体が「社会的共通資本」と認識されなければならないとされています。
そして、「社会的共通資本」は、そこから提供される財とサービスに応じた(市場原理ではない)マネイジメント原理によって、それぞれの専門家集団の社会的使命感によって運営されるべきであるとされているのです。
私たちが必要としている財とサービスのうち何が「社会的共通資本」から供給され、何が「私的資本」から供給されるべきなのか、またそれぞれの「社会的共通資本」はいかなる原理によって運営されるべきなのか、社会的合意を達成することは容易なことだとは思われません。(現在は「私的資本」(市場原理)に委ねる分野を拡大すべきというベクトルが強まって混乱している時代です。)
しかし、資本主義、社会主義の弊害及びそれぞれの幻想性を克服していくためには、この社会的合意をひとつひとつ達成するための困難な道をたどっていくほかはないのであり、その積み重ねの結果が新しい社会システムということになるのです。したがって、新しい社会システムは○○主義と一言で名づけられるようなシステムではありえないのですが、困難とはいえそこに道があることは確かなのです。
そして、この社会的合意を達成するためには、ものごとを客観的、科学的に認識する個人個人の能力の醸成と政治システムとしての民主主義の確立が不可欠な要素ということになります。