2008年1月13日

 トルコ人初めてのノーベル賞作家オルハン・パムクが対談で次のように語っています。  

 「 私は今日こうして日本での滞在が2日目に入りますけれども、西洋の本から知ったかぎりにおいて、日本人は過去の日本の絵を知っている。まだ覚えています。トルコ人は残念ながら昔の絵を忘れてしまいました。」

 たしかに、日本人は過去の日本の絵を知っていますし、過去の音楽も、舞踊も、文学も知っており、知識として持っているにとどまらず、現代でも学ばれ、演じられ、語られて、その生命が維持されています。

 トルコは中東の大国であり、トルコの伝統文化がそれほど壊滅しているとは思えませんが、ヨーロッパに近接し、EU加盟が現実的課題になっているという状況で、伝統文化喪失の恐怖がかなり強いということがパムクの発言から感じられます。

 仮に過去の民族文化が完全に失われてしまった場合、民族の精神はいったいどのような打撃を受けることになるのでしょうか?パレスティナ出身の思想家エドワード・E・サイードはその著「晩年のスタイル」で次のように述べています。

 「アイデンティティとは、より強力な文化、またより発達した社会が、暴力的にみずからを特定の民族に押し付けるときに利用する手法そのものであり、いっぽうその特定の民族は、この同じアイデンティティのプロセスによって劣等民族の烙印を押されるのである。」

 日本人の民族的特性について語られることは多く、また語ることが好きな国民といわれていますが、日本人が劣等民族だという認識は、ないとはいえませんが、皆無に近いといっていいでしょう。無意識ながら伝統文化の恩恵をこういうところで受けているとも考えられます。