2008年2月24日

 人間行動の実際は複雑なものであり、決して合理的な行動ばかりではありません。しかし、非合理的、恣意的行動を前提にしては社会の動きの法則を見出すことを断念せざるを得ないため、社会科学たる経済学は、法則を得るための方法上のテクニックとして人間行動について単純化を行います。すなわち、人間は経済的に合理的行動(利益・効用の極大化を図るような行動の選択)をするというエコノミック・マンの仮定の採用です。

 しかしながら、経済的な合理的行動とはいっても、何が合理的な行動かは短期で考えるか長期で考えるかによって違ってきます。まして、経済的という条件を取り払えば、何が合理的であるかを定めることは更に困難で、合理的行動という仮定のみでは到底人間の行動原理を確定することはできません。

 このような問題意識から、人間の行動原理を個人に帰するのではなく、制度的要因、文化的要因、伝統的要因といった人間の社会性、集団性、歴史性に注目して導き出すべきであるというのが経済学の中の制度学派の考え方の基本です。

 最近の原油価格高騰についても、単純な需要供給関係では説明不可能といわれており、制度的要因等によって規定される投資(投機)主体の行動原理の変質という説明が不可欠といわれています。【参考:世界3月号「原油高騰の背景にあるグローバル経済の変容(石井彰)」】

 近代経済学はその前提から個人たるエコノミック・マンにとっての経済問題としてしか経済問題を認識できない宿命を負っており、現代社会が直面している問題をそもそも近代経済学は問題として十分に認識することができないという致命的弱点を抱えており、それゆえ、当然の帰結として近代経済学は現代社会が直面している様々な経済問題の真の(=現実の人間にとっての)解決策を見出すのは困難ではないかと考えられるようになっています。

 エコノミック・マン仮定の近代経済学の限界、経済主体の行動原理再検討を主張する制度学派再認識の必要の時代の到来と思われます。