2010年3月27日(出来たて)

 「NHK・ETV特集・死刑囚永山則夫~獄中28年間の対話」を見、金嬉老逝去のニュースに接しての感想です。
 カミユ、カフカを待つまでもなく、有史以来、人間は理不尽・不条理に苛まれてきました。しかもそのほとんどは人為的な理不尽・不条理です。
 それへの対応こそ最も大切な人類的課題であるにもかかわらず、世間の主流をなす秩序維持派からの説明は、いつの時代でも、この世は理不尽・不条理ではないというものであり、発生した理不尽・不条理を、ある時は個人の責任に帰し、ある時は宇宙の摂理、社会の論理に整合的なものだと強弁する、すなわち「大」なるもの為に必要な「小」なるものであると強弁する、無理筋のインチキなものでした。
 理不尽・不条理の存在を認めないとする以上、それへの対応方法を探るという発想は論理的にありえません。
 しかし、厳然として理不尽・不条理は社会に罷り通っているのであり、人々はそれを個人的感情で受けとめざるをえず、対応方法を知らされないまま、理不尽・不条理の世界に放置されたのでした。
 人々は、理不尽・不条理の因って来たるところを理解できず、対応方法を知らず、精神的混迷状態に陥って、病的状態を余儀なくされたのでした。
 理不尽・不条理への対応方法は、たぶん、4つ。
 1 この世はそもそも理不尽・不条理なものだと観念し、これを微笑んで受け容れるという方法。「拈華微笑」。
 2 理不尽・不条理をもたらせた者を理不尽・不条理な目にあわせるという報復の方法。凶悪事件の犯人から身の回りの人々までが採用している方法。
 3 この世の理不尽・不条理は少しずつ軽減することが可能だと信じ、その軽減のために奉仕する方法。マザーテレサもいるがアルカイダも(?)。
 4 理不尽・不条理を理不尽・不条理と受けとめない精神を作り上げる方法。1とまったく逆だが、しかし近似している方法。
 2の対応方法が安易に選択されないため、少なくとも、理不尽・不条理を個人的感情の中にとどめないということが必要と思われます。