2008年3月16日

 鶴見俊輔の言葉を借りれば「(10万人超のアジア人の生命が)もてあそばれた」という性格を持っている事件(鶴見俊輔は「二重被爆」(広島と長崎で2回被爆を受けたこと)の被害者岩永アキラの言葉として言及)、日米両国間で「なかったことで済ませようとしている」戦時国際法違反事件が、広島、長崎の原爆投下と並ぶ、軍事的意味のない、人類史上未曾有の規模の非戦闘員大量虐殺である東京大空襲です。小田実は同様の性格を有する大阪空襲での被害者の死を「からくりに巻き込まれた」「無意味な死」、「難死」と呼んでいます。   

 一昨年の父親死去の際に必要となって取り寄せた一族の戸籍では、僕の祖母(当時49歳)、叔父(当時12歳)、伯母(当時24歳)、叔母(当時16歳)のそれぞれの死亡除籍の記載振りが同じです。

「昭和弐拾年参月拾日午前弐時江東区亀戸町五丁目百五十番地で死亡 同居の親族田中金次郎届出同弐拾四年九月弐拾二日受付除籍」。

 4人が同じ時間、同じ場所で死んだことになっています。空襲という事件の性格、届出が死去から4年余経っていることから考えて、明確な証拠に基づく時間、場所の特定とは判断しがたいところです。とはいえ、時間、場所の特定には、何らかの根拠は介在しているはずです。亀戸町五丁目は現在の亀戸五丁目と一致していますが、百五十番地は現在ありません。

 昨日、江東区深川図書館に出向き、昭和初期の亀戸近辺の地図を調べました。予想どおり、そこは江東区立水神小学校でした。我が一族4人は避難した小学校で一緒に焼死したのか、小学校に集められた地域一帯での大量の死体の中に交じっていたのだと思われます。