2008年3月20日

 日銀総裁人事で世の中が混乱しています。日銀総裁はいったいどういう仕事をする人なのでしょうか。独自の説明を試みます。

 その仕事は農業での間引き、林業での間伐にあたります。種を植え、出てきた芽をすべて育てあげようとすれば、日当たり悪く、養分不足で、まともな作物には育ちません。すべてが枯れてしまうことだってあります。全体としてよい収穫とするために、心を鬼にして、せっかく育ってきた芽を選んで摘んでしまわなければなりません。

 社会には事業を起こして利益を上げようとするたくさんの試みがあります。そのすべての事業に限られた貴重な労働力、資源を分配することは不可能です。平等に配分すれば、それぞれの事業の必要量を確保することができません。市場にゆだねれば賃金、価格の暴騰を招きます。切り捨てる事業と生き残らせる事業とを選別しなければなりません。資金返済に当たっての利子を負担する能力というものさしで、その選別を行おうとするのが、日銀の金融政策です。

 労働力、資源の使われ方を見て、余裕がなくなってきたと判断すれば、金利を上げて切り捨てる事業を多くします。人々が景気がいいとニコニコ顔の時、心を鬼にして水を浴びせなければなりません。もちろん、逆のケースで金利を下げることもあります。社会の諸々の事業に対する「生殺与奪の権」を金利という手段を使って行使すること、それが日銀の役割です。人殺しのわりにみなさん穏やかな顔をしているのは、直接1対1で殺すようなことはしないからでしょう。

 民主党が元大蔵次官の総裁就任に反対する理由として「財金分離の原則に反する」と主張しています。「財金」とは「財政・金融」のことです。財政とは国の仕事(=行政)の資金繰りのことであり、資金繰りが苦しくなると金融に甘えたくなるのは行政も一般企業と同じです。甘えを知ると、そこに頼るようになり、放漫財政を呼ぶことになります。民主党は元大蔵次官が総裁になると実家からの甘えに弱いのではないかと心配しているわけです。