2008年3月31日
彼は工学博士だとのことでした。物理哲学というものに興味があるのだとも言っていました。その彼が次のように語りました。「宇宙には意思がある。同じことなのだが、岩石にも意思があるのだ。」
彼はいったい何を「意思」と言っているのでしょうか?
科学者たる彼が、人間ないし動物における行動の選択判断というのと同じ意味で「意思」と言っているとは思えません。
彼は、英語では「casualty」というのだと説明してくれました。「偶然」とか「不定」といった意味になります。
要するに、「宇宙」「自然」は何らかの法則に完全に従って変化するのではなく、「宇宙」「自然」には「偶然に」「たまたま」そうなったのだとしか説明のしようがない現象がある、従って科学がいくら発達しても予測の不可能性は残らざるをえない、ということを言いたかったのでしょう。
そして、法則に従わないという意味で、また予測不可能性をはらんでいるという意味で、「意思」という表現がとられたのだと思われます。
そうだとすれば、人間ないし動物の選択判断を連想させる「意思」という表現を使うのは適当ではなかったでしょう。
科学に親しんでいない一般の人たちに科学者たちが神秘的傾向を持っていると誤解させたり、科学をわけのわからぬものとして、ますます縁遠いものと思わせてしまうというマイナス効果を持った表現方法だと思います。
「意思」という意味ありげな言葉を使うのではなく、「法則化しきれない性質」あるいは単に「不確実性」と言っておけばよかったのではないでしょうか。
すなわち「宇宙はそもそも法則化しきれない性質を持っている(=不確実性を免れない)。岩石もまた法則外の変化をしうる(不確実性の下にある)。」と言っておけば十分だったと思われます。
さて、それでは「宇宙はそもそも法則化しきれない性質を持っている(不確実性を免れない)。」というのは正しいのか、あるいは最終的には科学的研究の結果、宇宙の究極的法則は見出されるのか、それはこれまで述べてきた表現の適不適の問題とはまったく別の問題として存在しており、科学の最先端では前者が有利になっているという事情が彼の発言の背景にあるようです。