2008年4月26日 

 民族文化映像研究所姫田忠義氏の話「トナカイは風のものだよ」(NHK「ラジオ深夜便・こころの時代」4月24日、25日)を聴いて、あらためて以下のような思いに至りました。

 同趣旨ですでに書いたこともあるような気がしますが‥‥

 我々は特殊歴史的な人類、すなわち現代人として、他の時代の人類にはない特異性を持っている人類です。その数多くの特異性のうち、最も特徴的で本質的なものは所有についての観念だといえるでしょう。

 現代人の所有観念の特徴は、所有する対象に対する所有者個人の立場の絶対性、排他性にあります。すなわち、所有によって、何の妨げもなく、所有対象を個人が完全に自由に利用、処分することができる、あるいはできるべきであるという観念です。

 我々はこれをほぼ当たり前と考えますが、他の時代の人にとってみれば、とんでもないこと、到底認めがたいこと、ということになると思われます。すなわち、他の時代においては、たまたま個人が所有していたとしても、その所有物の利用、処分は宗教的ルール、共同体的ルール等の社会的ルールの強い規制を受けなければならないからです。現代においても社会的な規制はあり、同様の事情にあるとはいうものの、その程度においては格段の差があるといわなければなりません。

 このような特異な現代の所有観念が、現代の物質的繁栄を導いた根幹的要素になっています。そして、一方で人々は所有を人生における優先度の高い目標としてしまい、その結果、目標とすべき他の多くのものを見失い、そのような意味で所有が現代の社会病理、非人間的事象の根本的原因になっています。

 もし、現代人が現代の所有観念から離脱することができるとしたら、人々はどんなに大きな解放感を感じることができるでしょうか、どんなに数多くの社会的病理、非人間的事象を回避できるでしょうか。もしかすると、そのメリットは現代の所有観念がもたらした物質的繁栄というメリットをはるかに超えるものであるかもしれません。

 ああ、しかし、人類はすでに止まらない列車に乗ってしまっているのでは‥‥