2010年3月21日(出来たて)
大西洋クロマグロの国際取引禁止については、1994年か1995年のワシントン条約締約国会議において、アフリカのある国から提案されたことがありました。
提案国の国内意見調整がなされていないことが判明し、提案は撤回され、採決に至らなかったという展開だったと思います。
アフリカのある国の環境部局が、欧米環境団体の働きかけ(その働きかけが正当なものであったかも疑問)を受け、クロマグロに利害関係がまったくないにもかかわらず、突然提案国になったのでした。
大西洋クロマグロは、ICCAT(大西洋マグロ類保存国際委員会)という資源管理の国際機関があるにもかかわらず、以前から環境団体のターゲットになっていたのであり、したがって今回のドーハでの結論をもってこの問題が終了することはないと考えておかなければなりません。
欧米環境団体がクロマグロをターゲットにする理由は不明です。
資源減少、絶滅の可能性を理由としてしていますが、高価とはいえ象牙、べっ甲、虎皮の類とは桁が大きく異なり、かなりのまとまった資源量がなければ採算に合う操業は不可能であり、したがってワシントン条約の対象となるような絶滅の危険は皆無と言っていいでしょう。
人間サイズの魚体、漁獲にあたっての赤い流血が人体イメージを呼び、それによる残酷感、嫌悪感がクロマグロ保護要求の大きな背景になっているのではないかというのが僕の推定です。
「環境」を掲げることが今や「正義」の代名詞になっています。そのことに実態的理由も確かにあります。
しかしながら、この動きに乗じて「正義」の看板を獲得しようという不誠実な傾向があることには警戒しなければなりません。
一世風靡の「正義」の波に乗っていれば、厳しい追及を受けることなく、「正義感」という衣を身に着けていることができます。
自分のギルティを棚に上げてイノセントの振りをすることができます。
このようなニーズを見てとった「ビジネス」の存在もあります。
多数者の支持を受けている「正義」のメニューは、「環境」に限らず、低コストで、すなわち困難な知的作業の苦労を回避して、「正義感」という魅力的な感情を我々に提供してくれます。
「正義」とみなされている多くの理念に、我々は必要な知的作業をさぼって、安易に乗っているのではないか、絶えず自戒が必要です。