2008年8月30日
今年(2008年)の8月15日の終戦記念日用に制作されたと思われる「NHKスペシャル・果てなき消耗戦~証言録・レイテ決戦」を録画しておいたのを本日観ました。おびただしい日本兵の死体(皆、若者です。)が映っており、中には死体と見られたものにわずかな動きが見られるなど、極めてむごたらしい画面が多く、日米両軍の当時兵士たち及び現地の人々の証言も聞いているのが辛くなる内容で、反戦メッセージのとても強いNHKの秀作でした。
戦場の残酷無比を描いた映画が我が国にはなく、一方アメリカは自省的姿勢でいわゆるベトナム物を多く制作しており、それは我が国の知力の脆弱の象徴ではないかということは、かねてよりの僕の主張であり、そのことはこの雑学通信でも報告したことがあったと思います。
さて、レイテ決戦となれば、小説では大岡昇平に「レイテ戦記」「野火」「俘虜記」があり、レイテではありませんが、戦場の悲惨を描いたものとして古山高麗雄の3部作「断作戦」「龍陵会戦」「フーコン戦記」があり、戦争を肯定する側も反対する側も、それぞれの主張の前提として知るべき戦場の実態として、これらの著作は必読の書と思われます。
ところでNHKの番組ではレイテの悲惨(レイテ派遣日本軍の97%、約8万人の戦死、米軍、現地人を加えると死者10万人)を招いた原因として、大本営における情報把握、伝達の「お粗末」をあげていました。そして、その番組の示唆するところをよく突き詰めて考えてみますと、その反戦姿勢にもかかわらず、「冷静で、かしこければ、間違わなかった」というメッセージを発信していることに気づきます。
もし、自分があの時代に陸軍士官学校を出、陸大を卒業し、大本営に勤務し、冷静でかしこさを維持していたら、今現在において番組が批判している「お粗末」の回避に貢献することができただろうかと考えてみました。
答は「否」。基本的には、「思想」、そして「『思想』を支える仲間」、更に「『思想』をかたちにしうる『システム』」、これらが事前になければ、個人が力を発揮しうる余地は皆無だといわざるをえません。そして、レイテ戦の作戦の当否といったレベルではなく、太平洋戦争開戦の判断においてこれらの準備があれば、そもそも太平洋戦争開戦はなく、レイテの悲惨もなく、多くの若者の命は失われなかったと思われます。
NHK、秀作を提供すれど、残念ながら認識不十分、かえって反戦の立場にとって逆効果、というのが僕の結論です。