2008年11月14日
姉歯さんには迷惑な話でしょうが、ここで再登場願うことにしました。
設計業者、建設業者の自由勝手にまかせていたら安全性不十分な建物が乱立してしまうことになりかねないという問題意識から、建築基準法に基づく規制が設けられているにもかかわらず、姉歯さんは意図的に構造計算を偽装し、耐震性の規制を免れたのでした。姉歯さんを利用して暴利を得ようという悪だくみがあり、それを阻止しえなかったという問題はあるものの、事件は制度問題というよりは個人的犯罪という性格が強かったと思われます。また、不適マンションを購入して居住不能、転売不能という大きな損害を受けた被害者が出ましたが、建築基準制度が防止しようとしていた耐震性不十分ゆえ建物が潰れてしまうという事態による被害者は発生しませんでした。
さて、この姉歯問題と比較したいのがサブプライム問題に端を発した今回の世界金融危機です。
資本主義制度は景気変動を免れがたいものですが、自由勝手にまかせていたら通常の景気変動のレベルをはるかに超えたブーム(バブル)が発生し、その反動で恐慌に至りかねないという資本主義の安全性不十分は、1929年秋をその始期とする大恐慌によって経済運営に携わる人々に十分知られ、かつその再発を防ぐための回避措置も数々講じられてきました。しかし、残念ながらサッチャー、中曽根、レーガンに象徴される新自由主義路線(その後、イスラム原理主義をなぞって市場原理主義と命名されました。)によって回避措置は次々に解除され、今回の事態においてはいったい何がどのような規模で起こっているのか(不良債権総額はどのくらいか、不良債権を誰が抱えているのか等々)ということさえ感知し得ない、悲惨な状況に陥っていたのであり、感知能力がない以上当然のことながら事前防止措置を講じる余地など全然ありませんでした。
要するに、今回の事態は経済制度として耐震構造の必要があるにもかかわらず、そもそも制度としての建築基準法を廃止してしまっていたのであり、姉歯さんの場合のような個人犯罪で制度が機能しなかったのではないのです。しかも、今回の事態では実際に地震が発生して建物が軒並み崩壊しているのです。
もし、建築の世界でこのようなことが発生していたら、世の建築学者、地震学者はどのような社会的非難を受けるでしょうか?どのような社会的制裁を受けるでしょうか?
しかしながら、今回の事態において、新自由主義の推進役を務めてきた政治家、経済学者たちは、あと付けの解説をするくらいで、何ら責任をとろうという姿勢を見せていません。
姉歯さんは今、塀の中だと思いますが、彼らも一緒になるべきではないでしょうか。