2008年12月11日
現世利益の提供が売り物の宗教があります。すなわち、信徒になれば、教えを守れば、お布施を出せば、といった条件を満たすと、お金、健康、出世、家族関係等々現実生活における利益を享受することができますよといった類の宗教です。宗教ですから、神、仏、教祖といった超越者がいて、この超越者が現世利益の最終的保証者の役割を果たします。(中間に信者と超越者との仲介役がいることが通常です。)
ところで、現世利益といわれるものは時代とともに変遷するものであり、歴史的変化を必ず伴うものです。ある時代に利益とみなされて人々に追求されていたものが次の時代においては非難すべきものとされることだってあります。
超越者とは普遍的価値を担うべき存在のはずですから、このような普遍性を持たない時代的限定のある価値を超越者が提供するとなると、そこに矛盾があると言わねばなりません。超越者であるにもかかわらず、人間的変動原理、時代的変動原理に振り回される存在ということになってしまうからです。
当然のことながら、一方で現世利益の提供、保証とは無関係という宗教が存在します。超越者は現世利益の提供者、保証者ではなく、宇宙、自然、世界の創造の秘密に関わる者であり、創造者であるがゆえに信仰されるという宗教です。
前者の宗教には現世利益(形而下の利益)の提供、保証を形而上の存在(超越者)に依存するという理論的破綻があります。超越者の存在を仮定したとして、普遍性のある超越的な形而上の存在が普遍性のない些細、瑣末な形而下の利益に関わるようなことがあるはずがありません。後者の宗教はそういう意味では、ヒューマニティにおいて厳しいかもしれませんが、理論的整合性において前者の宗教よりすぐれているということができると思います。