2009年7月19日


古来、日本の権力者は政治的対抗勢力を謀略によって抹殺してきました。
 無実の罪を着せる、不祥事の責任をとらせる、反乱せざるをえないように仕向けるなど謀略の内容は様々ですが、その謀略であることは仕掛けた当事者が最もよく自覚していたのであり、それゆえその権力者は寝覚めのよくない思いをしてきました。
 そして、その後に発生する天変地異、戦乱疫病飢饉、身辺における不吉事象などを抹殺された者の祟りだと恐怖しました。
 このため、抹殺された者の怒りを鎮め、祟りをやめるように、抹殺された者を神に祀り上げて鎮魂し、祈ったのです。
 一神教でなくヤオヨロズの神の国日本ではそれが十分可能でした。

 すなわち、全国各地で行われる祇園祭は、スサノオノミコトを祀るものであり、スサノオは日本列島に進出した稲作民族が滅ぼした先住民族の神話上の象徴です。稲作民族が滅ぼした先住民族を鎮魂しようとしたのです。
 天神様・天満宮は藤原氏が滅ぼした菅原道真を藤原氏が祀った神社です。
 平安時代の反乱軍平将門を祀るのは東京の神田明神です(将門鎮圧者と将門鎮魂者は時代を隔てており、異なります)。
 該当事例の最後は明治中央政府に滅ぼされた西郷隆盛でしょう。
 死んだ西郷を恐れ、逆族のはずの西郷を祀ることを、明治政府自ら祀ったわけではありませんが、明治政府は許容しています(鹿児島県の場合、神社の名が許されたのは大正になってから)。

 さて、 日本経済の没落を特定の者に帰することは科学的ではないものの、 没落という現実がある以上、人々がこの事態を心理的に了解するためには、具体的・人格的イメージが必要であり、責任を負うべき何らかの犠牲の羊、人柱が必要です。
 そのために引き出されてきたのが公務員、とりわけ霞が関公務員でした。
 日本経済没落の原因者として世間から指弾され、かつての栄光を剥奪されることとなりました。
 その抹殺にかつての血生臭さはないものの、謀略により抹殺された過去の人々と同様に、貶められた恨みを抱く人たちも少なからず存在すると思われます。
 鎮魂の礼なしのままで祟りの心配はないのでしょうか?