2009年7月23日
転向一般を非難するほど頑なな精神ではありませんが、ここのところ見せられた与党内紛における転向劇(=和解劇)のお気軽さには驚かされました。
これを正当化する言い分は当然あるのでしょうが、その言い分のみで転向劇を理解することは到底できません。
政治闘争とはもっと命をかけた必死のものなのではないかと思うのですが、そんな思いを軽く裏切る、オープンな場での和解の握手までありました。
転向劇が演じられている政治の舞台には何か一般庶民が想定しているのとは違う論理が流れているのではないか、あるいは一般庶民が想定しているモラルが政治の舞台には欠如しているのではないか、という思いにさせられます。
対立の具体的テーマは、郵政改革であり、消費税導入であり、公務員制度改革でした。
そして表面的なこれらのテーマについての対立の背景には、我が国の経済的状況についての基本的理解、それを踏まえた国家社会運営の基本的態度の違いがあるはずです。
これらの基本的事項に違いがあるにもかかわらず、ある日突然、和解の握手ができてしまうというのは、いったいどういうことなのでしょうか?
理解するためには、次のように考えるほかありません。
すなわち、そもそも対立は深刻なものではなく、彼らが便宜的に採った立場の違いにしか過ぎない、したがって我が国の経済的状況についての基本的理解、それを踏まえた国家社会運営の基本的態度といった全人格にかかわるような信条の違いによる対立ではない、と考えるのです。
全人格にかかわるような信条の違いによって対立していたのならば、安易な転向(=和解)などできるはずがありません。
しからば、対立とは何だったのでしょうか?
社会に輻輳する各種利害対立を一定の判断基準によって調整する、その調整のために権力を行使するのが政治というものです。
にもかかわらず、一定の判断基準の自己確立といったものを無視してしまい、権力行使という側面のみを肥大化させて政治というものを理解し、権力獲得、権力分配のために争う人々がいます。
彼らには、我が国の経済的状況についての基本的理解、それを踏まえた国家社会運営の基本的態度、社会に輻輳する各種利害対立を調整する判断基準といったものは、権力抗争の旗印ではあっても、目的ではないようです。
目的は権力獲得なのです。対立の内実は結局この権力争いに過ぎないのです。
このように、彼らに権力獲得以上の高次の目的はないと考えることによって、ここのところの安易な転向劇(=和解劇)は理解することができます。
政治の世界の内実を理解した上で、なお本来の政治を行おうとの覚悟ある者よ出でよ!彼らに幸いあれ!
薄汚い権力欲のために理念をもてあそぶ堕落した者たちに呪いあれ!