2009年9月7日


 格差が無かったと言われる原始共産制は、存在が確認されているわけではありませんので、知られている限り人類社会は一貫して格差社会であったということができます。
 そして、格差によって醸成される格差意識は、マグマとなって社会を破壊するエネルギーを持っているので、それを恐れる古今東西の支配者は格差意識の抑制に最大限の努力を傾けてきました。
 その対応はいくつかの類型に分けられます。

 格差意識は同じ人類であるという意識があるからこそ生じるので、支配層と被支配層は同じ人類ではないという非ヒューマニズム思想を社会の考え方として格差意識の発生を抑える対応
 格差に真正面から取り組んで、格差を縮小させる対応(これには完全に格差解消を目指す対応と適度な縮小にとどめる対応がある)
 社会全体のパイを大きくして、被支配層にも増えたパイを分配する対応(格差は拡大しているかもしれないが、増えたパイによって問題意識が弱まる)
 身分制イデオロギーの注入によって格差は秩序だと認識させ、格差是正意識を剥奪する対応(が被支配層を同じ人類だと認めないのに対し、この場合は人間であることを認める)
 格差意識の対象となっている事柄(生活水準、労働内容、社会的地位)よりも高次の価値の存在を説き、格差意識の無意味化を図る対応

 それぞれについて少しずつ解説を加えましょう。

 は、ヒューマニズムは決して許容しない対応です。
 古代の被征服民族の奴隷化、最近で言えば西欧諸国のアジア・アフリカの植民地化における現地人対応がこれでしょう。
 反植民地運動は西欧諸国に留学してヒューマニズムを学んだ現地人エリートによって主導されました。
 現地人の愚民化政策がもっと徹底的に採用され、ヒューマニズムの広がりが抑えられたら、反植民地運動はどうなっていたか分かりません。
 
 は、格差の実態を変えようという対応です。
 完全格差解消を目指す立場は共産主義であり、イデオロギーとしては存在しましたが、実際には歴史の舞台に登場しませんでした。
 適度な格差まで縮小させるというのは社会民主主義的対応です。現在の日本で言えば、全政党がこの立場だと言うこともできるでしょう。しかし、どの程度を適度とするのかによって、多くの党派に分かれることになります。
 日本の高度経済成長期には、このの対応との対応の合わせ技が採られました。

 の身分制については、格差を発生させるものであって格差を抑制するものではないと感じられる方もいるでしょう。
 しかし、身分制というのは、経済力がまだ低い社会において、社会の構成員からある程度高度な社会貢献を引き出しつつ(これが奴隷制との違い)、避けがたい格差を正当化するために採用されるイデオロギー政策であり、格差の原因というよりは格差の後付けの合理化と考えたほうが理解しやすいと思います。
 格差は人々に認識されつつも、身分制によってそれがこの世の秩序だと思わされ、欲望が抑制されて、社会の安定化が図られるのです。

 で宗教が登場します。共産主義運動では宗教は麻薬だと言われました。宗教が人々の格差意識を無くし、階級闘争参加を妨げるものと考えられたからです。
 政策としても、「欲しがりません、勝つまでは」といった「高次の」目的を課して格差意識を抑制するという思想政策が採られたこともありました。
 絶対的貧困、すなわち生命が危機的状態におかれるような貧困、でなければ、宗教や国家政策を持ちださなくても、素朴に貧乏も気持ち次第という側面はあると思われます。

 さて、格差化が急激に進行していると言われる現在の日本です。
 一部に格差進行を否定している人もいるようですが、その人たちでも世間の格差意識の強まりは否定しがたいでしょう。
 現代日本での格差への対応については次回考えてみることにしましょう。