2009年10月1日


 人間が生存環境の安定(=秩序)を求めるものであること、秩序があることを確信したがるものであること、それが宗教や科学を誕生させたこと、このようなことは、この通信でこれまで何度か報告してきたと思います。

 さて、秩序を確信するために、面倒な理屈が充満した宗教や科学に頼ることなく、端的に秩序を実感する方法があります。
 宗教や科学の確立前には人々はその方法に頼ってきました。

 その方法とは、自分たちの秩序の外部に反秩序の世界、混沌の世界を想定するということです。

 できるだけ禍々しい、おどろおどろしい、醜悪な、薄気味悪い、いかがわしい、否定的な、具体的イメージの世界を設定することによって、それとの対比で、人間は自分たちの居る世界の秩序を実感することができるようになります。
 それは、ムラの外、周縁、辺境、異国、異界、地獄等々のところです。

 情報化が進んだ現代においても、情報化が進んでいる状況に適合するイメージで、そのような役割を割り当てられている反秩序、混沌の世界があるのではないでしょうか。
 イスラム世界、北朝鮮、ならず者国家、銃社会としてのアメリカ、共産党支配、人権無視の中国、こういった地域が我々にとってその役割を果たしているのではないでしょうか。