2009年11月19日


 鎌倉時代初期の頃です。美声の若い僧侶二人が処刑されました。
 住蓮坊は近江の蒲生というところで斬首、安楽坊は京都六条河原で斬首です。たぶん、見せしめのための公開処刑だったでしょう。
 
 当時、智慧がなくても、金持ちでなくても、地位が低くても、たとえ悪人でも、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えさえすれば極楽浄土に往生できるという法然の教えは一世風靡だったようです。
 その「南無阿弥陀仏」を美しい旋律で、ふたりの美声の僧侶が唱えて、女性信者たちが夢中になったようです。
 ヘビーファンの松虫、鈴虫というふたりの御所の女房が後鳥羽上皇が留守の間に剃髪出家してしまいました。
 革新的内容の法然の仏教を危険思想として、こころよく思っていなかった南都北嶺の旧仏教勢力は、ここぞと思ってこの事件を攻撃し、怒る後鳥羽上皇を巻き込んで、現代で言えば反体制的ミュージシャンであったふたりの僧侶をむごたらしい死に至らしめたのです。
 
 さて、小沢一郎民主党幹事長は、今や上皇のごとき院政のイメージですが、最近は「キリスト教は排他的、独善的」などと東洋思想の優越を主張するに至っているようです。
 かねてより耳ざわりのいいこととして、仏教の寛容性、仏教の平和主義が唱えられ、東洋思想の優越性が強調されることがありますが、それはそんなに明白なことなのでしょうか?
 また、善悪、賢愚、優劣、聖俗、美醜などの二分論を排すところ(不二の境地=成仏、往生、涅槃、解脱、悟り)に仏教の本質があるという指摘もあり、排外主義、優越主義的内容を持つ小沢発言は、仏教を称揚しながら反仏教的でもあるように思われます。