2009年12月12日



 

 たいへんな本に遭遇しました。驚いています。
 真木悠介著「自我の起原~愛とエゴイズムの動物社会学」(岩波現代文庫)です。(真木悠介は見田宗介のペンネームです。)

 人間は万物の霊長と持ち上げられ、一方で所詮利己的動物、エゴイズムの固まりと蔑まされます。
 事実として、自己を捨てて他者を思い、他者のためにする行動が人間にはありますが、この事実に関しても、その利他性を素直に評価する立場がある一方、それをエゴイズムの一変型、自己顕示、虚栄心の産物とするシニシズム(冷笑主義)もあります。

 本書は、人間の「個体」という存在の仕方(=「自己」「自我」)とはどのような存在の仕方であるのかという問題を、問題設定から必然的に生じる他者との関係という問題意識で、取り扱っています。上記のような問題に解答を与えます。
 本書は、社会生物学、動物行動学、進化生物学等の最新の成果に基づき、一時ブームになった「利己的遺伝子理論」も十分に踏まえながら、問題に取り組んでいます(門外漢には生物学の最先端を知るだけでもびっくり)。すなわち、神秘主義、観念論に陥ることなく、科学的立場から問題を取り扱っています。

 そして、
 「自己=目的化、エゴイズムという貧相な凝固に固着してしまうことがない」
 「個体は個体自身ではない何かのためにあるように作られている」
 「個体は自分の身体の中心部分に自己を超越する力を装置してしまっている」
 「われわれが個として自由である」
等々の解答が、根拠なき断定としてではなく、科学的なるがゆえの説得性をもって導き出されているのです。
 皮相的な、お安い人間観を吹き飛ばしてしまう迫力です。

 さらに、補論1「〈自我の比較社会学〉ノート」として、あとに続く若き研究者への研究の課題と展望がしめされ、補論2「性現象と宗教現象」として、本論を書かしめた著者のウオーム・ハートが「宮沢賢治論」として披露されています。

 一読の興奮でこの通信を書きました。これから二読に入ります。