2009年12月15日
前通信で「門外漢には生物学の最先端を知るだけでもびっくり」と書きました。
その「びっくり」のうち「いちばんびっくり」を不正確ながら紹介しましょう。
人間という個体は、独立した生命体ではなく、原生命体(ウイルスのイメージ)とでも呼ぶべき複数の生命体の共生態であるということです。
こう言いますと、宿主たる人間に多くの微生物が寄生しているというイメージでまずは理解されます。
もちろん、そういう事実があるということはありますが、新たに発見されたのはそのことではありません。
宿主たる人間という独立した存在があるのではなく、複数の生命体から構成されているある存在を名づけて人間と呼んでいるのだということです。
すなわち、人間というマンションに他の生命体が賃借人として生活しているというイメージではなく、人間は組み立て体操のピラミッドや人文字のようなイメージで、組み立て体操でピラミッドを作っている一人一人、人文字の一つ一つのピースにあたるのが原生命体なのです。
従って、原生命体が解散してしまえば、殻とか枠とかいうものは残らず、人間は雲散霧消してしまうのです。
このようなことは人間という進化の段階で初めて起こったことではなく、細胞(真核細胞)というものの発生から始まったことです。
細胞というものがそもそも複数の生命体の共生態だということなのです。
さて、そうだとすれば、人間の在り方は人間を構成しているそれらの原生命体に支配されているはずです。
しかし、原生命体の支配に人間は無意識です(原生命体のために食べたり、寝たり、遊んだりしていると意識している人はいない!)。
それが仏教でいう末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)という心の深層にあるものの実体かもしれないという想像も湧いてきます。
そして、原生命体に大きくその在り方を支配されているはずであるにもかかわらず、人間がそこにとどまることなく「自由」を確保している存在であることを科学的に説明したこと、それが前通信で紹介した真木悠介「自我の起原」という本の凄さ、驚きなのです。