2009年12月20日
政策のよろしきを得れば、何か経済が良くなるような言説が政治家、学者、評論家、素性不明のコメンテーターなどの人々によって振りまかれています。
国民はそんなうまい話があるもんかと疑いつつも、良くなるなら良くなるようにしてくれなければ困ると必死です。
そんな中で心配なのは、できないことを背負わされた政治家ができるかのごとき発言を選挙のために繰り返し、結果は膨大な財政赤字と首のすげ替えの政治混乱だけという事態です。
歴史が大きく変化している時に経済政策で出来ることは極めてわずかです。
経済成長戦略は誠に結構ですが、地道に実施していくべきことであり、短期的に効果が出るわけではありません。
日本経済は長期低迷期に入っています。(雑学通信659「現在の経済危機の世界史的意味」参照)
経済政策によってこの状態から短期に脱出できるというのは幻想であり、事態はそんなに甘いものではありません。
必要なことは、長期低迷期であるという状況認識を共有し、極端な犠牲の発生を抑制し、いかに小さな被害でこの苦境を乗り切るかということです。
何よりも優先されるべきは、人的資源の維持であり、不運に見舞われた人々に人間としての尊厳を確保することです。
要するにプライドを失わず、勤労意欲、学習意欲を維持し、市民としての対等性意識を守ることです。
ここが崩壊してしまえば、直接その人たちの人生が失われるのみでなく、多くの有為な人材が消え、日本経済再生の道が閉ざされてしまいます。
例えば景気の2番底を避けなければならないという議論が、このような認識の下に語られているのであればいいのですが、その認識がなく遮二無二経済を回復させようとするのであれば超低金利・積極財政の無原則的継続となり、日本経済は破綻します。即ち、極端な犠牲、大きな被害が社会の各所で発生します。
来年度の財政規模、国債発行額の数字が議論になっていますが、数字そのものよりもその背景にある状況認識のほうが大事なことです。
ばらまき政策の対象に自分が入っているか否かに国民の関心の方向を向けようとするジャーナリズムも困ったものです。