2010年1月10日


 上野千鶴子著「男おひとりさま道」が前著「おひとりさまの老後」に続いてベストセラーになっているようです。

 前著は女性向けに書かれた本でしたが、今回は非婚、離別、死別の理由により「おひとりさま」を余儀なくされる男性向けに書かれています。

 前著同様、単なるノウハウ本を超えた、老後生活の姿勢のとり方として大いに参考になる内容が提供されています。


 今回の男性向けのはずの本がベストセラーになっているについては、読者が男性にとどまらず、多くの女性に読まれているからではないかと僕は睨んでいます。

 もちろん、女性読者の中には自分なきあとのパートナー、あるいは父親、あるいは息子のその後を心配してこの本を読んでいる人もいるでしょう。しかし、多くの女性読者の読書動機はそこにはないと僕は睨んでいます。


 女性読者にこの本が歓迎されている理由は、ある種の男性性に対する女性たちの、あるいはフェミニズムの、勝利宣言という性格をこの本が持っているからだと僕は思います。本の中で使われている「男というビョーキ」という男性性を不健康視する表現にそのことは象徴されています。


 例えば、家庭生活、家事労働をかえりみないことを当然視する考え方、競争至上主義、出世第一主義で何から何まで勝ち負けに還元してしまう考え方が著者の撃墜目標になっています。

 そのような考え方では「おひとりさま」で老後は生きられません、不幸な老後が待っているだけです、救いのない、みじめな人生の終盤です、ということが、いかにいい老後を過ごすか、幸せな老後を迎えるか、豊かな人生の終盤を送るかということの検討の結果として思い知らされることになるのです。

 思い知らされるのは、まさにそのように生きてきた男性たちであり、我が意を得たり、そうであるにちがいない、そうであって当然だ、当然の報いだ、と受け止めるのは女性たちでしょう。


 著者の撃墜目標が現在に至ってはやや古いタイプの男性性であることを著者は十分認識しています。

 そういう意味で撃墜はすでに果たされているのであり、撃墜を確認する勝利宣言というほうが適当かもしれません。


 それでは、本書が本当に勝利宣言たりえているか、それはみなさんの判断に委ねたいと思います。

 (僕は、勝利宣言たることを認めますが、そんな勝利は面白くもおかしくもないと思っています。これまたみなさんの判断にゆだねるべき事柄です。)