2010年1月26日

 「色」とは何か?すなわち「すべての物質的現象」「すべての存在」とはいったい何であるのか?

われわれ人間のまわりに様々なことが生起しているがこれは何なのか?

 われわれ人間というアンテナに様々な情報が感知されるがこの情報は何なのか?

 現実なのか幻想なのか?実質なのか仮想なのか?

 この疑問は東洋にもあり、西洋にもありました。思索者がまず何よりも考えねばならない基本中の基本の疑問でした。


 東洋は「般若心経」によって「色即是空」、すなわち「空」であると答えました。

 考えやすいので例として人間という存在を考えますと、人間という現象に人間という名を付けているかもしれないが、様々な因縁によってその現象が生じているのであって、その因縁は変転極まりなく、従って人間という現象も変転極まりなく、人間というものをこうだと定めることはできない、これすなわち「空」だ、というのが「般若心経」の答でした。


 西洋哲学の始祖とされるプラトン、アリストテレスにも彼らの答があります。その答があればこそ彼らは西洋哲学の始祖だということも言えるでしょう。

 彼らはこんなふうに考えます。「物質的現象」、「存在」はエッセンス・設計図と材料・質料の合成体であると。すなわち、人間とはかくかくしかじかのものというエッセンス・設計図があり、そのエッセンス・設計図に基づきタンパク質、脂肪、カルシウムなどで形作られているのが人間であると考えるのです。

 そして、西洋はエッセンス・設計図についての学問として「形而上学」(=哲学(フィロソフィア))を、質料・材料についての学問として「科学」を始めたのです。


 「空」という答により対象を喪失したための科学の停滞、一方での広々とした自由な精神の獲得、これが東洋、エッセンスへのこだわりによる超越的神の導入がもたらした文化の息苦しさ、一方での膨大な科学知、科学技術の獲得、これが西洋、いずれに軍配を上げるにしろ、その淵源は遠い昔にあったのです。