私がデパスを飲み始めたきっかけは、些細な事でした。まだ新人の頃、上司から怒鳴られる日々の中、少し落ち込んでしました。出勤がツラく、ヤル気が出ない。
今思えばそれは、体育会系の私の会社からすれば当然通る道ですし、私も耐えることはできた。
その際、親切な上司が、「心療内科に行ったらラクになるで」と言ってくれました。
私は鬱でもないし、そこまで悩んでいたわけでもない。ですが何故か、その足は心療内科に向いていました。恐らくは無知の為せる技。取り敢えず行ってみようか、そんな感覚でした。
出勤途中にある適当に選んだ心療内科に行き、仕事で悩んでいる旨を伝えると、どういったやり取りがあったか忘れましたが、恐らくデパスを処方されたと記憶しています。もう6年前のことです。
最初、効き目が感じられませんでした。一ヶ月して、通うのをやめました。
ところが数ヶ月後、やはり憂鬱な気持ちがあったので、「薬を飲めば治るもの」などと馬鹿な勘違いをしていましたから、また通いだしたのです。
繰り返しますが、鬱や不安症では決してなかった。薬を飲んで気持ちよく仕事ができるなら、、、そんな矛盾した考えで投薬を再開してしまったのです。
そこからは何も考えず、ただ薬を飲み続けました。医師からは離脱症状や依存性の説明は一切ありませんでした。
当然のごとく、薬のために薬を飲むようになり、薬が切れたら薬を飲むの繰り返しで、まるで麻薬に手を染めて転がり落ちるように、いとも簡単に、常用依存となっていきました。もちろん、その自覚はありません。危機感もありませんでした。全て、馬鹿な私の無知の為せるものでした。
仕事は順調でした。立場以上の仕事を任され、優秀と持て囃された時期もありましたが、その裏で私は、デパスをかじり続けていたのです。
そして何も考えないまま服用し続けること6年。ついに体が悲鳴をあげました。
一日6mg飲むようになっていた私は、服用していても、貧血か船酔いのように、体が動かなくなり、仕事中に横になることが多くなりました。
最初、理由がわかりませんでした。
疲れ?ストレス?薬も少しは影響している?
そんな認識でした。
体が悲鳴をあげながら仕事を続けて二ヶ月、流石にこれはおかしいと感じ、上司に相談し、休業することとなりました。
そして時間ができ、ネットで離脱症状の事を知り、ようやく全てを理解したのです。
遅過ぎました。もはや、長年塩に付け込まれた梅干しのように、薬は私の体の隅々まで浸透していました。激しい離脱症状との闘いの始まりでした。
ベンゾ系の抗不安薬は、まさに麻薬に近しい存在だと思います。手を付けるのは簡単。だが、抜け出すのは地獄の苦しみ。
昔、覚せい剤撲滅CMで、「覚せい剤やめますか、それとも、人間やめますか」という文句のものがありましたが、まさにそれです。最初は、軽い不安とストレスで飲み始めた薬が、いつの間にか悪魔に変貌し、地獄の苦しみを与えてくれました。
離脱症状との闘いは、何との闘いなのでしょう。病気ではない。自分自身?耐えること?過去の自分?医師?周りの環境?時間?
答えの出ない孤独な闘いを、皆さんが耐えている。ネットで繋がっていても、現実世界では独り。
出口は見えませんが、進むしかない。
どこへ進むかは、まだ、分かりません。