宝物を手放したら、新しい風が入ってきた
ご無沙汰しております、aoです。現実がどんどん変わってきてしまい、しばらくブログに向き合うことができませんでした。今年と来年のテーマは、「かつてないほどのご自愛(笑)」 だからこそ、無理せず、気の向くままにブログに想いを綴っていけたらと思っています。今日、ふと書きたくなったのは──「要らないもの」と「居場所」についての話です。 * * *ある駅の軒先で、ずっと暮らしている人がいます。初めて見かけたのは、もう5年以上前かもしれません。最初は、雨風が強い日だけ。でも次第に、彼女の定位置が出来てきて、私は駅を訪れるたび、どこかで気にするようになりました。そして最近、久しぶりにその駅へ行ったとき、私は思わず足を止めました。彼女の持ち物が、エレベーター1基分ほどのスペースを埋め尽くすほど、山のように積み重なっていたのです。模様がプリントされた綺麗で小さな段ボール。用途のなさそうなサイズの端切れ。宝物のように大切にしているであろう「何か」たち。でも、それらは彼女のまわりを壁のように囲んでいて、身動きが取れなくなってしまっているように見えたのです。もちろん、今日は「なぜ彼女が駅で暮らしているのか」とか「政治」や「倫理」の話をしたいわけではありません。私が伝えたいのは──彼女の宝物の山を見たとき、私は、こう思ったのです。「ああ……私も、一緒だったな」まったく何もなかったときの方が、身軽で、自由だったかもしれない。宝物だと思って取っておいたものたちに囲まれることで、かえって動けなくなっていたのは、私自身だったのかもしれません。「今しか手に入らない」「いつか使うかもしれない」そんな理由で取っておいたものを、今年はたくさん手放しました。捨てるには惜しいものは、誰かの役に立つようにリサイクルや寄付へ。そうやって空間を整えて、静かな部屋で黙々と仕事をしていたら…年末なのに突然、新しい案件が舞い込んできたのです。しかも、私が待ち望んでいた案件で、嬉しいプレゼントと一緒に。手放したから、入ってきた。空けたから、流れた。そんな感覚が、私の中にはっきりと残っています。──そして、気づけば、今日は2025年の最後の日。今年は、間違いなく「変化」と「成長」の1年でした。ふらっとこのブログに立ち寄ってくれた、あなたに。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。2026年が、あなたにとって優しく、豊かな1年になりますように。またゆるりと、更新していきます🕊️ao