先日の朝のこと。

ふと。

 

何ひとつ自分の手でできていることはないのに

どうして自分の力で、何かをなんとかしようと思うのか

電車が走っていること

線路が通っていること

時刻通りに来ること

ホームドアが開くこと

そのための電気が流れていること

 

 

すべては誰かの手によってここにある

私は無力で

何ひとつ自分ではどうしようもない

 

 

「私たちは生かされている」

いつもそう言っていた、先立った友の言葉が

時を経て深く腑に落ちた

 

 

それは、

物理的に、誰かの「手」や「働き」によって

成されていることもそうだし、

 

人智の及ばないところでの

パーフェクトなタイミングと

パーフェクトな采配で

成されていること、

その両方のこと

 

 

そんなことを

朝のホームで電車を待ちながら思ったら

すごい朝日に出逢った

 

 

胸の奥のほうを

わしづかみにされるような

息が止まるほどの

昇り立つ朝日

 

 

こんなことあるのだろうか???

というくらいの。

 

 

自分がいったい何を目にしているのか

わからなくなった。

息が止まって、

思考も止まった

あたまで理解できるなにかではなかった。

 

 

この瞬間には

わたしというものもなくて

なにか大いなるものに満たされている、

それだけがあり、

そのすべてのなかに、

わたしもいる。

 

 

そこにわたしを成す何かは1カケラも、1ミリもない。

あるのは大いなるものだけで、

だから、わたしがいられる。

それが腑に落ちた朝。

 

 

感謝、しかない✨

 

 

 

 

 

 

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