お正月、実家に帰った。

 

 

父が12月から施設に入ったので、

父なしで、

母と姉家族で集まった。

 

 

父が施設に入るにあたり、

わたしも時折、

電話で状況を耳にしてきた。

 

 

心配することが趣味のような母だから

「決まるかしら…

 入れてもらえるかしら…」と

この世の終わりのようなトーンで心配する

ある意味、いつも通りの展開に

 

 

『絶対にうまくいくから

 大丈夫だから

 おかあさんがすることは

 すでに施設に入れたことをイメージして

 あぁよかった…かみさまありがとう!って

 からだ中、こころいっぱいに感じておくことだけだよ』

 

 

と一緒にイメージングしながら、アドバイスしてきた。

大丈夫だって、確信があった。

 

 

 

そして、結果、無事に入れたのだけれど、

今回、その経緯を聞いてみたところ、

一般的にみたら、

どうやら、奇跡のような幸運さで入れたらしいのだ。

 

 

 

一般的には、

いくつかの施設を見学・検討し

いくつかの施設に申し込みをし

そのうち回答をくれるのは全部なわけではなく

1件も決まらないこともめずらしくないらしい。

 

 

 

そんな中、

いくつかの施設を見学・検討し

どうしてもこの施設がいい、と申し込みをし、

空きがちょうどひとつあったようで、

すんなり入れた、

というのだ。

しかも、施設で賄ってくださるあれこれが

とても手厚い。

 

 

 

すごい!キラキラ

と、わたしは感動して

ほら、やっぱりうまくいった!キラキラ

と思ったのだけれど、

 

 

当の母は、

「奇跡のようだったよね」と言いながらも

 

 

『でも、お父さんの部屋には

 あれがなくて、

 これがなくて、

 施設はこうで、ああで、もっとこうだったらいいのだけれど

 しょうがないかねー

 あーどうしたらいいかねー』

 

 

と、望んで決めて入れたすぐその次には

 

「ない」ものにフォーカスして

 

本当は「ない」(現実でない)妄想の心配や

それによってこんなことになるかもと妄想しての不安を

自分でたくさん積み上げて、

わざわざ創り出そうとしているショック

 

 

正直、

わたしは呆れるよりも、

 

どこまでも

趣味:心配、不安、不満足な

母の在り方に

「だって、趣味なんだもんね…」と感心して、

 

 

どんな自分であるか、

どんな自分を生きたいか、

何を創造するか

どう受け取るか

 

 

を教科書のように見せてもらった里帰りだったウインク