生まれた時のこと① | とにかくやってみよう!

とにかくやってみよう!

2014年7月9日待望の長男を出産。彼は18トリソミーでした。ただただ愛しい我が子は、ただただ強く生き抜き、10月27日お空に帰っていきました。
そんな我が子の備忘録と、単純に私の独り言の場としてやってみようかな的、ブログです(^_^;)

まずは青生が生まれた時の事を残そうかな。
と思います。

かなり細かく書いちゃうと思います。
お付き合い下さいませ

13週と20週でちょこっと出血し、
切迫流産やら、切迫早産やらを言われても
たいしたこともなく、
24週で羊水過多を告げられはしても、
原因は不明で、心配するなと言われ、
ただただ毎回異常なし!で36週まできました。

今振り返れば、
胎動がずっと優しかったこと。
痛いレベルの胎動はなかった。
けど、羊水が多いからだと思ってました。

36週の検診で、ふと先生の手が止まる。
「脳室がちょっと大きいかな~」

ん?どういう事?

その後、
正常な写真はこうで、青のはこう。ほらちょっと大きいでしょ?
でも、ひどい場合はこうだから、微妙なんだけどね。
っていう説明と、「水頭症」という病気の名前をチラッと聞いて、
様子みましょうとなりました。

もちろん不安で、待合室ですぐスマホで水頭症を検索。
脳内に循環してる水が、
どっかが狭くなってるとか、何らかの原因で循環・吸収せずに
脳室内に溜まっちゃうと。
ほっておくと、水が溜まった脳室が脳を圧迫し、障害を起こすと。
頭に管を通して、胃に水を流す手術をすることになり、
成長に合わせて交換手術を繰り返し行うと。

脳っていうだけで、怖くて怖くて、
車の中で、旦那さんに報告しながら泣いてしまいました。
でも、まだ現実味はなかった。

そこから、2週間。改善もあまりなく、
生まれる前に検査しておこうと。
そうすれば生まれてからの対処が早いしって先生に言われ、
大学病院に転院することになりました。

予約をしていただいて、明日は大学病院という、
38週5日目。
陣痛がっ!!!!Σ(゚д゚lll)
慌てて病院に行くも、着くやいなやすっと落ち着いちゃう
念の為、その日は病院に泊まり、
翌朝、念の為と、今から行っても待ち時間がえげつないからと
先生の提案で救急車で搬送病院
付き添いの助産師さんとむっちゃ喋りながら、人生初救急車に揺られ、
わずか10分で大学病院に!!
ちなみに、普通に行くと、30分はかかる道のりです(^_^;)

着くと、10人くらいの先生達に囲まれ、
エコー見ながら、1時間半くらい話し合っている。
脳の話のはずなのに、全身見ている。
いや、脳より、体を見ている。

旦那も着いて、主治医の先生からお話。

「髄膜瘤です。背中に大きなコブがあります。」

背骨が成長途中に開いてしまい、
そこから脊椎を通って流れてきた脳水が背中に溜まってしまってると。
万が一破裂したら、脳と外界が触れてしまい、菌が入ったりして危ないと。

私はすぐ聞きました。
「治るんですか!!?」

先生は
「治りますよ。」
「でもここでは手術できる小児脳外科の先生がいないので転院です。」

そして、また救急車に揺られ、
幸い近くに見つかったとのことで、
京都第一日赤に転院しました。

また何人もの先生に診察してもらい、
翌日帝王切開。
翌々日、赤ちゃんの髄膜瘤の手術と告げられました。

何でもいい!助かるんなら、無事生まれてくれるんなら何でもいい!
もう何でもいいから、赤ちゃんも私達も乗り越えさせて!
そんな気持ちで、ただひたすら祈りました。

なのに…

その夜、翌日の手術が緊急なこともあり、
執刀医の先生が、もう一度エコーさせてと呼ばれました。
軽く終わるはずだったエコー。
2時間終わりません。
ブツブツいいながら、ずっと見続ける先生。

「心臓に穴が開いてます」
「手をずっと握ってる」

後から聞いた話ですが、
その時すでに、執刀医の先生は18トリソミーを疑い、
NICUの主治医の先生に報告してあったそうです。
おかげで、その後の対処が凄くスムーズだったと。
旦那は、その執刀医T先生をゴッドハンドと未だに呼んでます(笑)

長くなっちゃった。

続きは次回にします!!
ご静聴ありがとうございます!!


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生まれて5日目くらいの写真