はたらくをおもしろく

りんくるの


あおいです。


今日は仕事とリフレッシュに

東京に出張にきています。




さてさて


「はたらくをおもしろく」

というテーマを

私の中で掲げ


仕事のサポート事業を

行っている私です。



先日も

ご依頼のシールを8,000枚

名刺を800枚発注をかけました♡


デザインから印刷

内容相談まで

深くも浅くも色々な面から

個人個人の仕事

に向き合っていますニコニコ



ということで


私が

はたらくことを

おもしろくしたい。

と思うことについて

どのように考えているかを

書いてみたいと思います。




働くこと

というのはまず

2つの働き方があるかと思います。


❶雇用されている

❷自分で仕事をつくっている


雇用されている人も

仕事をつくっている人も


自分自身のキャリアに向き合い

様々な考え方を手に入れることで

はたらくことが

最高に面白くなるわけで✨


そこに、チラシや冊子や

名刺やLPやHPや各種画像などが

必要であれば作りますよ♡

という感じで制作もしてるのですが



❶で雇用されていた時に

わたしは

適応障害になりました。


適応障害とは、

ある特定の状況や出来事が、

その人にとっての

主観的な苦悩を生み、


気分や行動面に症状が

現れるものです。


数年前

深キョンこと


深田恭子さんが

適応障害で仕事を休む

ということでも話題になった

心の病です。


・涙が溢れる

・朝起きられない

・考えるだけで吐き気

・現実世界が平面に見える

・電車に乗るとドキドキする

・上司の声を聞くだけで苦しくなる

・不安感

・出勤するとなると動悸


という症状がありました。




はじめて精神科に行った時のことは

今でも覚えていて


・病院で大粒の涙が

こぼれて泣いてしまったこと

・重度だねと言われてしまったこと

・初めて精神安定剤を処方された時のこと


は、忘れもしません。


ただ、なんとなく...

2度目にここに私は

足を運ぶことはないだろうな

と、思っていました。


本当に、それっきりです。



精神安定剤を初めて飲んだ時のこと

服用して落ち着いた日々のこと

残りの一個をお守りに持ち歩いていた時のこと

その一個のお守りを飲んだ時のこと

その後の数ヶ月の日々のこと


全て記憶に残っています。



私の人生の中でね。


こんなにも

はたらくことが苦しい

のは初めてでした。


学生時代に働いた
銀座のレストランでは
私に会いにきてくれる常連さんがいたり
お手紙をくれる方がいたり
楽しかった思い出があるし

ビールバーのオーナーさんと
カープの試合観戦にいったり
料理も作れるようになったり

キャンペーンのアルバイトでは
社員の人から
成約率が高いからもっと入って♪
と褒められたり

色々と働くことを
楽しんできました。



今回も...
やりたいことをする
正社員で

楽しんでいる

つもり

でした。


大手企業の担当の方にも
すごく優しく
良くしてもらって

上場会社のパーティーに
呼んでもらったり

システム改善をして
2時間業務を30分にしたり

それなりに
仕事でもキャリアを積んで
昇進して

順調な

つもり

でした。



なのに。



わたしは
心が壊れてしまいました悲しい


今はなぜそうなったのか
複合的な話を解説できますが

当時は
自分がなぜ
適応障害の症状が
重度と言われるまでに
なってしまったのか

全然わからなくて

会社のせいや
上司のせいに
していたんですよね...

実際には
色々とありますが真顔



それから引き抜きをしてもらって
辞職して

適応障害をどうにかしようと

実家で
寝て起きるだけの
何もしない状況を作り
ボーッと過ごすだけの毎日を
送りました。

空を見ながら
田んぼのあぜ道に座り
やりたい時にだけ
農業を手伝う日々。


そんなある時

私は
ある人からもらった
本に
出逢います。


今までにない。
自分と違った
価値観の本。

何度も読んでいると
すごく楽になっていったのを
覚えています。



自分の人生を
生き直そう。


夜中に
流れ星を見て
そう決意した日のことは
忘れもしません。

あれから
私の第二の人生が
はじまりました。


東京に戻り
転職をして
また雇用で働きはじめました。

それが

結構、楽しかった。



ただ、私に転機が訪れます。


続く