彼は急いでいた。
濡れた地面の水しぶきを弾けさせながら
すっかり暗くなった繁華街を息を切らせ走っていた。
飲み屋が並んだこの道をずぶ濡れになりながら走る姿は滑稽に見えていただろう。
そんな事もお構いなしにただ一心に走る彼を振り返る人は居なかった。
この雨だし人通りも少ない事が良かった。
ただツルツルに濡れた地面は気を抜くと滑ってしまいそうになる。
流石にこれだけ全力で走っているのだから転んでしまうと大変な事になっただろう
正直恥ずかしいだけでは済まない事は簡単に想像できる
それでも彼がスピードを落とす事は無かった。
それ程急ぐ必要があるならタクシーを使えば良いのにと私が思ったのは
京都の飲み屋街として有名な先斗町での事である
あれは確か去年の夏、八月位の事だったと思う
昼間の蒸し暑さのおかげで汗でずぶ濡れになったのに夕方振り出した大雨で
嫌な気分になっていた記憶がある。
ゲリラ的に振り出した大雨のせいで傘を持っていなかった私は、既に昼間の汗で
ずぶ濡れだったからすっかり諦めてこの雨と一緒に夜道を帰ろう
むしろ汗の臭さを洗い流してくれるからいいじゃないかと思っていた。
夜の街は多種多様な人々がいる。
それがお酒と寄り添う街なら猶更だろう
楽しい一日だった人もしんどい一日だった人も
嬉しい事、悲しい事、辛い事、苦しい事、楽しい事
どんな一日を過ごした人にも平等に受け入れる街なのだから
だからこんな大雨のなか傘を差さずに歩く人もいれば
滑って怪我をするリスクがあるのに走る人もいる。
それで、いいじゃないか
どうせ今夜は月も出てないと空を見上げたあの日の夜を思い出したのは
彼の姿をドラマの中で見つけたからだ
あの夜何があって彼があんなに一生懸命走っていたのかは解らないが、
あの後も彼は走り続けドラマで活躍出来る様になったんだなと一人納得してしまった。
そして私は今夜もあの飲み屋街に行きあの豪雨の夜の話をマスターバーテンダーに話すのだ。