国鉄→JR(一部、中小私鉄)
国鉄→JR在来線の標準車体寸法は全幅2950mm×全長21300mm。
①関西鐵道は史実通り国有化されるが同時に放出−玉造・長尾−新田の敷設免許を国有化後、鉄道省の手によって開通し城東線、片町線片町−長尾、関西本線湊町−奈良、奈良線京都−新田、放出−玉造、長尾−新田は戦前の1930年代初頭に電化し
それにより天王寺−玉造−放出−長尾−新田−京都の電化路線系統が構築される。
戦後の分割民営化後に湊町駅地下化に伴い大阪市営地下鉄四つ橋線に沿う形で湊町から桜橋まで延伸し桜橋から福島で片福連絡線と繋ぐ形で乗り入れ。
片福連絡線
1990年代に放出から地下に入り鴫野-京橋-片町-南森町-桜橋-福島-野田に至り野田から阪神湾岸貨物線(阪神高速3号神戸線に並行)に合流し湊川(湊川貨物駅を旅客化)を経て兵庫に至る路線と野田-大物-金楽寺-塚口-福知山線方面に至る路線に分かれる形で開通する。
名古屋-鳥羽間の快速『みえ』に加えて京都-鳥羽間の快速『志摩』、京都-紀伊勝浦間の特急『くまの』も新たに新型高出力気動車によって整備強化される。
②北陸から中京〜伊勢方面へのバイパス路線構築のために勢江線が計画され1930年代に木之本〜関ヶ原が鉄道省によって開通し関ヶ原〜西藤原〜保々〜富田・保々〜四日市は三岐鉄道によって開通。
③1960年代〜80年代に吹田信号所〜大阪貨物ターミナル(鳥飼)〜長尾操車場〜田辺(京田辺)〜宇治田原〜信楽を経由し信楽〜貴生川〜八日市〜米原•八日市〜多賀大社前〜東藤原〜保々〜三岐朝明〜桑名〜八田〜大府・保々〜四日市〜塩浜と信楽線•近江鉄道•三岐鉄道を高規格化し名阪第2東海道貨物線として整備し
さらに吹田信号所〜宮原操車場〜塚本から阪神高速道路と併設し神戸の湊川貨物駅を経て兵庫で山陽本線と合流する形で阪神湾岸貨物線も開通した。
④紀勢本線
城東貨物線が1930年代に開通した後、淀川電車区から大阪駅へ延伸し昭和12〜15年頃に竜華操車場から八尾空港への軍用線と直結し更に陸軍信太山駐屯地を経て和歌山線岩出まで延伸し田井ノ瀬-東和歌山間の連絡線も開通した上で紀勢本線として開通。
終戦後電化し大阪南港までの支線の途中から阪和電鉄鳳、堺泉北臨海地域まで3セクにより阪堺臨海鉄道として羽衣操車場まで開通する。
五新線は戦前から戦後の1950年代に五条-城戸-阪本-十津川-熊野本宮大社-新宮並びに橋本-阪本間の路盤のみが完成し1970年代に全線開通した後分割民営化直後にJR西日本、JR東海、近鉄、南海、奈良交通、熊野交通、奈良県、和歌山県などが出資する形で三セク化しJR西日本、JR東海、近鉄、南海が第2種鉄道事業免許を取得した上で一部の特急が乗り入れ。
西吉野村や大塔村、十津川村や本宮町への観光需要や宅地開発、別荘地開発や大阪-新宮•紀伊勝浦、東紀州への需要も喚起する。
⑤よって史実の阪和線・阪和電鉄は一度は南海と対等合併したものの戦時国家買収されず昭和22年までは近鉄山手線として存在し後に和歌山電気軌道が終戦後に山手線(史実の阪和線)天王寺−東和歌山を買収し新生阪和電気鉄道として成立する。
阪和電鉄は終戦後、天王寺−鳳まで複々線化・立体化し並びに鳳−我孫子−天王寺までのバイパス路線を地下鉄御堂筋線と平行させる形で開通させ地下鉄松屋町筋線(天王寺−松屋町筋−南梅田−新大阪)と相互直通を開始する。
そのうち天王寺−我孫子−中百舌鳥は阪和電鉄と大阪市交通局の二重区間とする。
⑥中京•北陸方面
越美線、樽見線は全通するが国鉄分割民営化直前に三セク化、越前大野で京福電鉄福井勝山線並びに北陸鉄道金名線と繋ぐ形で越美濃鉄道として設立し後に京福電鉄福井支社や福井鉄道や北陸鉄道と合併する形で第三セクター東海北陸縦横鉄道として成立し準大手私鉄となる。
加越能鉄道加越能本線は昭和30年代に金沢-富山地方鉄道電鉄富山間が開通し富山地方鉄道と相互直通を開始し同時に北陸鉄道浅野川線を買収し準大手私鉄に格上げ。
国鉄中津川線は昭和50年頃に開通し甲府-辰野-飯田-名古屋間において急行→特急の運転を開始。
私鉄
(1)近鉄、京阪は史実以上に勢力を拡大し名阪間を中心にシェアを拡大している。
近鉄の本線系統•南大阪線系統の標準車体寸法は全幅2950mm×全長21300mm、サードレールの東大阪線と地下鉄谷町線乗り入れ連絡線は全幅2900mm×全長20000mm、特殊狭軌線の北勢線と内部線は史実と同じ。
京阪は京阪本線系統は全幅2870mm×全長19500mm.名古屋線系統は全幅2950mm×全長21300mm。
阪急は神戸線•宝塚線車両の車体幅は2780mm/全幅2800mm×全長19500mm、京都線車両は地下鉄堺筋線も含めて全幅2850mm×全長19500mm。
阪神、山陽、西鉄は全幅2850mm×19500mm。
南海は全幅2950mm×21300mm。
阪和は全幅2950mm×21300mm。
名鉄は全幅2950mm×21300mm。
①近鉄
戦後新幹線開通による名阪需要の低迷を予想して大阪難波•上本町-亀山•鈴鹿市•四日市や名古屋-奈良間の需要、大阪上本町-伊勢志摩、名古屋-伊勢志摩、京都-伊勢志摩、京都-橿原神宮前-五条-和歌山(学文路で南海高野線乗り換えで高野山方面)、大阪阿部野橋-五条-十津川温泉-熊野大社-新宮への需要を開拓するが1980年代に国鉄の値上げとともに名阪ノンストップ特急の需要が回帰(ここからは名阪ルートの経路以外史実通り)。JR西日本•東海(新幹線、関西本線含む)、京阪と競争。
昭和5年に参宮急行電鉄を開通させた大阪電気軌道(大軌)グループは京阪グループの名古屋進出に対抗し
まず伊勢電気鉄道(伊勢電)の買収を急ぎ昭和10年頃に伊勢電を傘下に入れ関西急行電鉄として設立、伊勢電のうち神戸線(史実の近鉄鈴鹿線)•伊勢線(江戸橋•松阪•大神宮前)の広軌化と名古屋延伸並びに伊勢電時代から構想のあった神戸線(鈴鹿線)の伊賀方面延伸を具体化拡大し伊勢若松〜関急亀山〜関急上野市からさらに大軌奈良の地下に奈良駅を設け畝傍線尼ヶ辻•信貴生駒電鉄菜畑から生駒山をトンネルで通過し大軌瓢箪山で大軌本線と合流し大阪上本町に至る路線と上野市から天理、法隆寺を経て信貴線服部川から河内山本へ至る路線の敷設免許を得て昭和12〜15年に関急名阪線•関急信貴天理線として開通させそれに併せて伊賀線も電化並びに広軌化し戦後の1970年代ナローゲージの八王子線の西日野-伊勢八王子間が水害で廃止になった後、新たな代替ルートとして近鉄四日市-伊勢八王子-近鉄亀山の短絡ルートが開通した。
南大阪線系統は戦前の大鉄が大阪市内延伸と同時に古市〜堺市、柏原〜寝屋川市も同時に開通し1年後に御所〜五条〜学文路まで開通し貴志〜学文路までの免許を持っていた山東軽便鉄道を合併し学文路〜貴志〜東和歌山まで路線を開通させ戦後の1960〜1970年代、橿原神宮前−吉野口を狭軌線•広軌線を複々線状態で併設し吉野口−五条−学文路−貴志−東和歌山を標準軌化し京都−東和歌山間の京奈和特急を新設し並びに畝傍御陵前〜国鉄畝傍間で休止していた小房線の路盤を利用し桜井-畝傍御陵前までの短絡線を敷設し名古屋-橿原神宮前-吉野口-五条-学文路-東和歌山(→近鉄和歌山)間の名和特急も新設。
名古屋線6431系は車体設備仕様と台車(KD28)は史実と同じだが制御器は日立VMCを採用し主電動機は大鉄500形→6601形の余剰品を流用し名古屋線広軌化後に南大阪線に転属し『かもしか号』や五新線乗り入れに使われ昭和38年に主電動機を通勤車6900系→6000系と同じMB3082に取り替えWN駆動化し冷房装置を11400系と同じものに変更。1990年に26000系『さくらライナー』は大阪阿部野橋−吉野・新宮まで運転開始。16200系『青の交響曲』は新製特急車として登場。
戦後、南海電鉄部分を高野登山鉄道に売却した後、奈良電を京阪と半々で分けて買収する案でまとまり昭和38年に京都-大和西大寺間を買収し近鉄京都線とし
翌年の昭和39年、新生駒トンネル開通と同時に昭和45年の日本万国博覧会開催に向けて大阪線全線複線化並びに河内山本-服部川-新王寺-田原本-三輪-西名張-桔梗が丘のバイパス線建設、橿原線車両限界拡大、和歌山線広軌化などを実施しいずれも昭和43〜44年に完成。
バブル期の1990年代にかつて大軌四条畷線として計画された路線をHSSTリニア方式によって大阪梅田-京橋-住道-寺川-新石切-服部川-信貴山口を開通させる。
②京阪
1930年代〜1940年代・ 昭和5〜15年にかけて京阪六地蔵線•京阪梅田線•新京阪山科線•名古屋急行電鉄が相次いで開通し
梅田線、新京阪山科線、六地蔵線、名古屋急行電鉄を全通させ名古屋までの進出。
戦時中に新京阪線含め京阪の路線(京阪六地蔵線•新京阪山科線)は阪神急行電鉄(阪急)と統合したが大津〜名古屋間の名古屋急行電鉄のみ合併されずに残り
終戦後、名古屋急行電鉄が京阪神急行から京阪電鉄から引き継いだ京阪線関連と新京阪線関連を京阪神急行電鉄からの帰属交渉の末、京阪線、宇治線、六地蔵線、京津線、石山坂本線は譲受したものの
山科線含む新京阪線関連については京阪神急行側が譲らず交渉が難航し
そこで名古屋急行+京阪側が京阪神急行側へ新京阪線関連の譲渡条件として
奈良電大阪線(大阪市内-小倉-宇治)路線敷設免許の買収後の建設費並びに六地蔵線•宇治線の車両限界•建築限界拡大•架線電圧昇圧などの工事費の全額負担を条件付きで新京阪線関連路線を有償譲渡し
新京阪線系統は阪急京都線、阪急千里線、阪急嵐山線、阪急山科線として京阪神急行に残り、
名古屋急行電鉄が京阪線系統と京津線系統を譲り受ける形で京阪電気鉄道が再設立され
昭和27年〜30年に奈良電から譲り受けた奈良電鉄大阪線・宇治線(大阪玉造〜小倉〜宇治)の路線敷設免許を大阪側起点を玉造から蒲生に変更の上、着工並びに宇治線•六地蔵線の宇治〜六地蔵〜山科の架線電圧昇圧と車両限界/建築限界拡大を実施し京阪電気鉄道名古屋線として開通させた。
戦後、昭和38年の淀屋橋延伸(天満橋は戦前に地下化し)と同時に京都七条〜三条まで地下化し架線電圧を直流1500Vに昇圧(史実より20年ほど早い)し1990年に京都三条-出町柳まで開通。
戦後から名阪ルートの需要を巡ってJR西日本•東海と近鉄と競争を繰り返し近鉄特急『アーバンライナー』や『ひのとり』に対抗しうるデラックス特急を熱田神宮(京阪名古屋)-大阪淀屋橋/中之島間にて運転している。
奈良電
京都−西大寺間開通後、新田辺〜八幡〜新京阪線大山崎の八幡線を開通させ宇治〜小倉〜玉造の大阪線・宇治線の免許を取得するものの
戦後の昭和38年、奈良電は会社解散とともに京都〜西大寺間は史実通り近鉄京都線として近畿日本鉄道に引き継がれるが八幡線大山崎〜八幡市〜新田辺間は京阪電鉄田辺線として京阪に引き継がれ京阪電気鉄道電気鉄道田辺線となる。
信貴生駒電鉄
戦前の昭和13年に私市−生駒まで開通。昭和40年代に枚方市−阪急電鉄京都線高槻市まで延伸し高槻市−枚方市−私市−生駒−王寺の路線を形成し近鉄と京阪が半々で出資する形態となる。
京神急行電鉄
戦前の大正14(1925)年〜昭和4(1929)年に省線京都駅-乙訓郡-高槻市-萱野-豊中市-住吉-神戸市北部のルートで計画された京神急行電鉄は
バブル期の1990年代前半にHSSTリニア方式(HSST-200形•HSST-04/05)を採用した上でルートを一部変更した上で京都駅-乙訓-高槻市-箕面市-伊丹空港-神戸三宮が開通し2006年に神戸空港開港に伴い神戸三宮-神戸空港が開通した。
③阪神
戦前の昭和15年あたりに元町-湊川まで開通。
阪神難波線は史実より11年早い1998年に開通し乗り入れ車両は近鉄側と阪神側で共通設計の19.5m車を投入し2005年あたりに近鉄が19.5mの阪神直通用の特急車を投入する。
1988年に甲子園線ルートを実用試験路線としてHSSTリニア方式の路線として開通させ
それを踏まえて北大阪線ルートと尼宝線をつなげる形で1996年に天神橋筋六丁目-中津-野田-尼崎-出屋敷-西野-宝塚をHSSTリニア方式で開通させる。
④阪急
千里山線吹田-高槻市は戦前の新京阪時代に開通しているが戦後の1970年代吹田-新大阪-三国•神崎川の新大阪連絡線が開通し1980年代に神戸線神崎川-神戸三宮、宝塚線三国-宝塚の車両限界拡大を実施し京都線車両が入線できるようになった。
神戸高速鉄道自体は神戸市交通局と合併し三宮から神戸市営地下鉄西神山手線への連絡線を建設し乗り入れ
アルナ工機は解散せず富士重工の鉄道部門を買収する。
⑤山陽
戦前に網干-赤穂-岡山を開通させ戦後に倉敷まで延伸。
1970年代に西代から地下化した上、阪神湊川まで延伸し乗り入れ。
⑥神鉄、神戸市営地下鉄、北神急行
神戸市営地下鉄西神線を西神中央から志染まで延伸し神鉄粟生線の志染-粟生を広軌化•高規格化並びに車両限界/建築限界を拡大し国鉄から三木線•北条線•加古川線•鍛冶屋線を買収し改築。
湊川公園-西神中央は神戸電鉄と神戸市交通局が第2種鉄道事業者となる。
北神急行は神戸電鉄と阪急が建設する。
⑦南海
架線電圧昇圧は戦前の高野山電気鉄道開通とともに施工。
高野線の河内長野-三日市町-橋本までの複線化と車両限界拡大/大型化は史実より数年から10年早い1989年まで完成し1990年に橋本-学文路-高野下までの複線化並びに車両限界拡大/大型化が完成。
それによりズームカー21000全車と22000の一部半数の置き換えの半数は21.3mの1000に置き換え2000は4両×4本•2両×3本の陣容となり置き換えられた21000のクロスシート車は大井川、21000ロングシート車は一畑、22000は支線区転用と野上(改変で高野山まで開通し戦後の1990年代に両備グループが買収)、22000の後期車はしばらく高野線本線に残るが2005年に2300系に置き換えられ一部は『天空』に改造。
汐見橋線は1990年代に天王寺線代替も含め岸里玉出-汐見橋を地下化しそれに併せて大阪市営地下鉄なにわ筋線が汐見橋-阿波座-中之島-なにわ筋-新大阪まで開通し相互直通。
泉北高速鉄道は南海高野線の混雑緩和を図るため2000年代に和泉中央から粉河まで延伸。
⑧名鉄