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平凡アヒルも3話目です
今回はカフェの紹介みたいになりましたが
私としてはめちゃくちゃ緊張してた💦
創作マンガへの抵抗
というのも、私自身「創作マンガ」というのが苦手で
自分の中でキャラや設定を考えて妄想するのは好き✨
でも、それをいざ公開するとなると
とたんに不安が襲ってくる。。
自分の体験談をマンガにするのはいいんです。
エッセイマンガみたいな、自分が体験したことは比較的気が楽。
だってそれは自分のことを話してるから
創作ではなく現実だから。
ある意味、責任を自分自身が取らなくていいという感覚。
誰かに見られて批判されたって、揺るがない過去が根底にあるから、自信もって表現できる。
だけど、創作だと途端に苦しくなる
自分が好きなもの、想像してニヤニヤすること、キュンとするポイント…。
設定からキャラデザから話の流れや内容まで
全部私が作り出すことができる。
それは他人の目に晒された瞬間
批判された=私の世界が否定された!
と言う感覚が強く残るわけで
エッセイ描くのは最低限服着てるけど、創作は身包み剥がされて丸裸でいる感じ。
親や友人に「今日こう言うことがあって〜」と話す気軽さと
「ある日綺麗なお姫様がいて、素敵な王子様と〜」と作り話をしたり
「自分の夢は〜」と大きな夢を語る気恥ずかしさ
このマンガでやりたいこと
私はエッセイの世界で表現ができれば
満足だと思っていた。
だけど、私が最終的にやりたいのは
『1から作った自分の世界観を商品に転写する』
ってことだった。
よくアニメや漫画のキャラクターグッズとかコラボ商品ってあるよね。
あれの自分バージョンをやりたいの。
それをするには当然、元となるキャラクターやストーリーが必要なわけで。
どうしたら、自分の経験を元に
自分からかけ離れすぎず、キャラやストーリーを作れるか。
ここを考えるのが、自分の中でかなりテンションが上がったし、考えていて楽しかった
だから主人公の「帆篠碧桜」は、昔の自分に忠実に作ってるし
出てくるカフェのスタッフたちは
今の自分の脳内を具現化した感じにイメージしてる。
(漫画「脳内ポイズンベリー」って知ってます?あの脳内会議キャラをカフェに集合させた感じ!)
ここのスタッフたちは、私が
「いいなあ、好きだな」「やっていて気持ちいいなあ」「心地よく過ごせるなあ」
と感じたもの。
実際仕事にしたり日常で使っているものを
過去の私(主人公)に教えていくって感じです。
それなら一人語りでいいのでは?とも思ったけど、ワクワクしなかったんだよね
あまりにもエッセイになってしまって、つまらなかった。
試しに創作の設定を考えていると、すっごいワクワクしたんだよね
これだ!ってサクサク筆が進んだ。
そうやってワクワクして漫画描きまくってけど
投稿した途端、不安が押し寄せた。
このキャラ、やっぱりこの髪型にすればよかった
このコマもうちょっと大きくすればよかった
この話の流れ、少し強引すぎたかな?現実だとあり得ないよね…
…なーんて具合に。
創作が怖い理由
だけど、わかってた。
私がこれだけ創作を怖がる理由。
それは、他人に有益な情報を常に提供しなければならない、って言う意識があったから。
現実を伝える時はこう。
素敵なカフェに行きました!→ここのカフェおすすめです
ネイル変えました!→このデザインいいよね
イベント行きました!→行った人と思いを共有できる
個人的に今日こういうことがありました→私もそう言うことある!わかる!と共感できる
事例は様々だけど
何かしら見ている人が共感してくれたり
新たな発見をしてくれることに嬉しさを感じる💖
でも、創作ってその前提が
無の状態からなんだよね。
まずどういう世界観か見てもらう。
ここは特に有益な情報どころか、自分語りパートなわけで。
他人からどう思われるかが、他の投稿と比べて何倍も気になるのだ
この感覚、数日経ったら落ち着いたから
今こうやって文章にできているんだけど。
改めて、表現に対する自分の恐れってのが炙り出されて
まだまだたくさんあるなあって感じた
今までたくさん我慢してきて
妄想が楽しくても表現して発信するなんて私ができるわけない!
って抑えてきた。
そんな鳥籠の中に長いこといたもんだから
鳥籠の扉が開いていても、ずっと怖くて外に出られなかったんだ。
それが今回
創作・自分の考えた世界・自分が作ったキャラ
といったことを通じて、一歩踏み出せた。
この怖いけどゾクゾクする感覚
たまらんなあ笑
どうなってくんだろう、この物語。
自分の世界は自分で作れるし、いつでも修正可能。
この先のお話も楽しんでいきましょう!わたし
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