いつもやりたいことは頭の片隅にあるのに、体が疲れて動けない。
仕事があるから、出かけたから、たまたまやる気が起きなかったから、、
それは、本当はやりたいのに現実が変わることが怖いから。
一歩先に進むと、やり続けないといけなくなるから。
そう思ってた。
だけど、それだけじゃないかも?とふと気づいた。
よくよく内観してみると、自分の最大値(理想値)を出せてないのに、先に進んではいけないとブレーキをかけていたみたい。
こんな自分でも、調子のいい時や上手くいった時は、無意識だけど体感として残ってる。
それが外枠の、自分の最大値(理想値)。
普段の無意識による体感としては、
この最大値に近づけることが生活クオリティを上げることに直結していると思っていた。
ここを満たさないと、外枠(次のステップ)を広げることはできない。
いつも仕事で疲れていたり、家事をしていると、自分の中で自分を広げることに一生懸命になって、外枠の外までに意識が向かない。。
ということを、当然のことと思ってたし、自分が前に進めない言い訳にもしていた。
そうすると何が起こるか。
毎日がつまらなくて、「動きたい」という枯渇した渇望を我慢してしまっていた。
そりゃそーだ。
動きたいって、次のステップ行きたいのに、土台が整ってないからって押さえつけてんだもん。
『渇望』って、己の不足感から来るものだと思ってた。
最大値に近づきたくて、の、この矢印。
だけど違うんだ。
今の現状関係なく、今、私がやりたいこと。
そこが満たされないと、焦燥感や不安感になるんだ。
安定のための渇望ではなく、拡大のための渇望。
そこをはき間違えてた。
ふと、学生時代の試験前日を思い出したよ。
私は勉強するの嫌だったから、よく部屋の掃除しちゃってたわあ
『掃除して心を整えてから、集中して勉強しよう』って。
(それで大抵掃除終わると満足しちゃうやつ)
要は何を言いたいかというと、、
ここ数週間、イラストを描いてなさすぎてしんどかったということ
エッセイマンガ描くぞ!と意気込んだものの、全然筆をとってなくて。。
そこに言い訳する自分が、いかにも「安定」のための言い訳ばかりだったということ。
(疲れててコンディションが良くないから、とかね…)
こうやって紙と鉛筆さえあれば、たくさん描けるのに、、
(これは過去の落書き)
たとえ万全のコンディションでなくても
それが私の想像力創造力の妨げになっていいはずがないんだ。
さて、これで私はイラスト描けるようになるかな?
自分自身に期待と楽しみを込めて