続きを書こうと思いながらもウダウダ。


て言うのも、時間が経ったとは言えやっぱ思い出すとしんどい。


26年前、

恐ろしい出産を体験し5日間ほど入院。

その5日間も孤独と恐怖と後悔との闘い。


旦那も両親も仕事があるので日中は病室でひとり。

飲ませることの無い母乳を搾乳すること以外することもない。

搾乳した母乳を授乳室の冷蔵庫に保管しに行くのも複雑な気持ちだった。


自分を責めた。なんでこの病院にしたんだろう。入院中の世話を頼んでる母の負担が少ないよう実家に近い所で、って理由で選んだ後悔。

こんな事になるなら最初から医療設備の整った総合病院で出産するんだった

後悔しかない。あんなお腹をぎゅうぎゅう押して押し出すなんてありえるの?あの時点で帝王切開に切り替えられなかったの?素人の考えが頭の中でぐるぐるする。


そして、子どもの容態の急変を告げる連絡がいつ来るかわからない恐怖。


旦那の方もその間いろいろ大変だったようで、子どもの治療についても手探りな状態で、その中で血液の状態が良くないので毎日少しずつ交換輸血をすることになり、とにかくできるだけ輸血用に同型血液を集めてほしいってことになったようでした。

旦那自身も辛い中、職場に事情を説明し、同僚の方たちも採血に心良く協力して下さり、順番表のようなものを作成して下さったりと毎日数人ずつ病院にまで採血しに来て下さいました。本当に今思い返しても感謝してもしきれないほどありがたかったです。


子どもがそこまでギリギリの大変な状態にあるってことを自分がNICUに面会に行くまで知らなかったんです。もし知ってたら産院入院中半狂乱になってるよね。そう思って旦那も言わなかったんだと思います。


産後5日間で退院しその足で子どもの入院してるNICUに面会に行ったんですが、保育器の中で身体中たくさんのチューブにつながれてる子どもを見て「ごめんなさい」って気持ちしかなかった。

先生も看護師さんも「◯◯くんがんばってるよ。お母さんも声かけてあげてね」って励ましてくれるけどそれどころじゃない。とにかく「ちゃんと産んであげられなくてごめん」「かわれるものならかわってあげたい」それしかなかった。


わたしが面会できたのは3日間。

面会3日目(生後1週間)、面会に行ったまさにその時に容態が悪化、手を尽くして治療していただいたんですがもうどうにもならない状態に。

わたしの両親と旦那の両親を病院に呼びました。


諦めるしかなかった。


結局原因がわからないままなので病院は解剖の話しもされましたが、わたし達はこれ以上子どもの小さな身体を傷めつけるようなことはしたくなかったので断りました。後々になって原因不明という事が重く重くのしかかってきましたが。