先月長野に旅行に行った時、
三浦綾子さんの「塩狩峠」という小説があること、
そしてそれは実話に基づいて書かれたものだということを知りました。
話のあらすじを聞いて、しばらくは忘れていたのですが…。
ある日突然ふと思い出し、
猛烈に塩狩峠が読みたくなり、
2軒目に訪ねた本屋さんでやっと出会うことができました。
本を手に取ると、「私を読んで!」と本に言われたような、そんな気がしました。
…と言うとちょっと大袈裟かもしれませんが、
読み終えた今、やはり気のせいではなかったかも…と思うほど、
塩狩峠の物語に、私は強く心打たれました。
読書は人をこんな気持ちにさせるのか…と、
その力に驚いています。
物語のあらすじと内容は割愛させていただきますが、
少しネタバレもしてしまうかも…。
知りたくないという方や今から読むという方は、
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主人公の信夫くんが最後に死ぬことは、知っていました。
だから、ページをめくるたびに死が近づいているようで、、、
苦しかったです。
ただ、信夫くんが「犠牲の死」を選択する場面や
吉川くんやふじ子さんが信夫くんの死を受け入れる場面。
「死」による辛さや悲しさであふれているのですが、
その中には一筋の光がありました。
希望の光…なのかな……。
じゃあ、何がその光の源なんだろうって考えた時、
私が思い浮かんだのは「信じる心」と「愛」でした。
我が家は仏教なので、キリスト教については無知に等しいですが、(いや、仏教のことも実はあまりよく分かっていない…)
キリスト教の教えによって、
信夫くんやその周りの人たちも救われ、また報われたのだと思いました。
人はなぜ、なんのために生きるのでしょうか?
信夫くんが幼い頃に疑問を抱いたように、
私も考えたことがあります。何度も。
いつか必ず死ぬのに、なぜ生まれてきたんだろう。なぜ生きなくてはならないんだろう。とか。
なんのために生まれてきたんだろう。とか。
死ぬ時はもちろん、死んだ後は、苦しくないんだろうか。とか。
2年前に上京して、
親しい人とぐんと離れ離れになったり、
自分の体が成長によって変化してきたり、
新たな出会いと別れがたくさんあったりするなかで、
「生」と「死」について深く考える機会が増えたことは確かです。
人生は一度きりだし、みんな初めて。
だから、「この人の言うことが絶対正しい!」っていうのはきっとないんだと思う。
その上で私が思うのは、人生の一番の目的や喜びは、
心豊かに生きること。
そして、
人のために生きること。
ということです。
もちろん、信夫くんの自己犠牲の愛には足元にも及びませんが、
自分のことで精一杯になってしまう今の世の中だからこそ、
大切にしたい心がけだと改めて思いました。
こうしてこの文章を打っている間も、
白い雪の中に燃える鮮血と、信夫くんの安らかな死に顔が思い出されます。
信夫くんの死は、多くの人々の心を動かしたに違いありません。
私も、その1人です。
私も…私も、周りにいる人たちや支えてくれている人たちの笑顔を守って生きたいです。
結局なんだか拙い…取り留めのない文章になってしまいました
ここまで読んでくださりありがとうございます。
それにしても、悲しいのに心がスッとしているのはなんとも不思議。
私も聖書を読んでみたくなりました。
いつか。。。
一粒の麦、
地に落ちて死なずば、
唯一つにて在らん、
もし死なば、
多くの果を結ぶべし。
(新約聖書 ヨハネ伝 第12章 24節)