みなさま、心配のお声いっぱい、胸に沁みすぎて泣けて泣けて笑い泣きたいへん心強いです。本当にありがとうございます。


幸い我が家は生活に何の支障もなく、過ごせています。揺れも小さく、また少なくなってきました。

それなのに、何でもない家鳴りや何かの振動に過剰反応し恐怖に落ちます。


大きな揺れは家がそのままポキっと折れると容易に想像出来るものでした。

これで震度5強。震度7だった地域の恐怖が想像できません。自分の知っているものを遥かに超えたものだったから。


生きるために持ち出す物、重要な書類系を除くと、水や着替えや衛生品、暖をとる衣類や寝るためのもの。スマホの充電や、、、ああ私はコンタクトやメガネも必要。少しの甘い物もあったらいいかも。などと考えると、なんと家中にはいらない物がいっぱいなんだと、全く違った目線で見えてしまっています。


可愛く飾った置き物、いつくつもハマって買い揃えた物や、衝動買いした物、最新式に変えたり、サイズを大型にしたり、、、そう言う豊かな生活のために頑張っていたのも事実。

けれど、、、断捨離とまでは行かないですが、今後減る事はあっても増えていく事は無いと思いました。

実際に地震で落ちた小物は、なくてもいいものばかりで、元の位置に戻すのさえ躊躇しました。

生きていく、何かを考え直したくなる、そんなものすごい、体験をしたのだと思います。


地震のあった1日  16:10

私達は2階のリビングにいました。

次男が部屋から出てきて、リビングに来ました。私はあんずを抱きしめ、パパは壁掛けの時計を外し、テレビを押さえていました。

いろいろ出来るほど、揺れは長く続きました。


次男が言いました。どうせ死ぬなら家族一緒にと思ってリビングに来たと。ああそうだね。みんな一緒にいよう、そう思いました。


幸い我が家は持ちこたえてくれ、ありがとう!と声を上げました。

そこから少し相談して、電気を切り、防寒して15分で家を出ました。流石に津波はここまでは?と頭のどこかで思いつつも、何が起こるかわからい恐怖で避難しました。

結果何事もなかったし、解除の連絡を待たずに帰宅したのですが、あのまま何度も揺れる家の中で不安になるより良かったと思います。


高台に続く道は車で渋滞。我が家はほぼ最前列でしたが、このまま道路の斜面が崩れたり陥没する様なことがあれば大変な場所であったと思います。

同じ様に家に戻った友達らは、皆そのあと車に荷物を詰め直したと言っていました。

お互いに長生きをしたい訳ではないけれど、もう少しおしゃべりしたいよね。そう安否を確認し合った友人と話をしました。


私達は、真っ平らにならした土地の上に立って生きている訳ではなく、周り、動く、まるで生きているような星の上で仮住まいをしているのだと、、、、

まるで我が物にした土地や住居も、自然を前にはなす術も私の物だと主張する事もできないんだと、、、、なんか恐怖でおかしくなりそうです。


さて、そんな昨夜のこと。

我が家は近くに高速が走っているので、二重サッシですが、そらなりに音がするのです。北陸道なんで車は多くはありませんが、お正月の時期はそれなりに。

それが一般車両は通行止めのため、全く音がなく、、、ただただパパさんのイビキが鳴り響く。しかも、昨夜に限ってダースベーダのあの機械が蒸気を出す様な音。そして、音を立てずに高速道路を列になって走る消防車、救急車などの赤いパトライトのチラチラする灯りが窓から入ってきてました。

遠くの海岸から聞こえるサイレン。そこからいつの間に眠りについたのかわからないくらいそれらを黙って聴いていました。1番嫌だったのが、ダースベーダムカムカこんな時によく眠れるもんだともやもやこいつは家屋倒壊しても生き残るな!そう思いました。その時はあんずを頼むよ。


今、落ち着いてます。ご縁とは実に温かいものですね。恐怖は拭えなくとも、不安を抱きしめられている様な気持ちになりました。あ。また泣きそうぐすん


ありがとうございますキラキラキラキラ


まだ、余震があるのと、第二波もあると思うので、落ち着いて行動します。心配をおかけします。


お散歩に行く途中で撮影。

何も無かったようにのどかな景色

剱岳

ありきたりな毎日。当たり前が当たり前でなくなるかもしれない!それが一番怖かったです。


お迎えにきてくれました。

ママ、寝よう音符