先ごろ見事な復帰を果たした歌手の華原朋美が、生放送で往年のヒット曲や新曲を披露した。番組の前半では彼女が引退から復帰に至るまで歩んできた道も紹介され、共演していたAKB48メンバーも涙ながらに聴き入った。ところが、いよいよ生歌披露ということになると、感極まった華原は1曲目の出だしから涙で声を詰まらせてしまったのだ。司会の中居正広からそのことに触れられた彼女は涙のワケを語ってくれた。
4月30日に生放送された『火曜曲!』で司会の中居正広は華原朋美を紹介すると、「7年ぶりだね」と久々に顔を合わせたことを懐かしんだ。彼女も中居との再会を喜ぶと、「いろいろなことがあり、今振り返ると、人間じゃないというか普通の人ではなかったことに気づいた」と復帰に向かったいきさつを語ったのだ。
華原は数々の楽曲が大ヒットして多くの賞を手にした頃を思い出すと、「周りがお姫様扱いしてくれたのが嬉しかった」と言う。ところが、交際していたプロデューサーの小室哲哉との関係が壊れて状況が変わる。華原は「破局したことが一番辛かった。『私、こんなんじゃないけど』と思う日が続いた」と証言している。破局してからも彼女はテレビ番組で歌っていたが、その頃は驚くほど無表情で魂が抜けたように感じたものだ。
やがて、薬物依存となり仕事からも遠のいていく。彼女が所属していたプロダクション尾木の尾木社長は「どん底状態でしたね。痩せて、目はうつろ、肌は荒れ放題」と当時の様子を語る。華原の才能を埋もれさせまいと考えた尾木社長は再起に向けて尽力するが、番組のドタキャン事件などで事務所として契約解除せざるを得なかった。事実上の引退となったのが2007年のことだ。
だが、それから1年過ぎた頃、華原から事務所へ手紙やFAXが届くようになったのだ。尾木社長は「長文の手紙が膨大な量届いて、『復帰したい、どうしたらいいですか』と切々と書かれていた」という。そんな、華原にとって一番の課題は薬物依存からいかに抜け出すかだった。彼女の家族はその為に最大の努力をした結果、隔離施設での入院治療が必要だと判断する。そのおかげで彼女は薬物依存から抜け出すのだ。
その頃から、華原朋美は兄の経営する高齢者向け住宅に顔を出すようになった。彼女は「おじいちゃんやおばあちゃんといろいろな話をした」とそこでの体験を話す。ある日、おばあちゃんから「私もいろいろなことがあったよ。でも、人生は長いよ。大丈夫だから」と言われたことで心が明るくなり、歌手としての復帰へ気持ちが大きく動いた。
ボイストレーニングを受け、カラオケで歌って録音したCDを事務所に送った。尾木社長は「手紙の内容や音源(CD)の内容が甘くなくなった」と華原の変化を感じたことを明かす。こうして事務所としても華原朋美の復帰に向けて道を開くことになったのである。
事務所内には華原の復帰に反対する声もあった。その状況で尾木社長は「近所に道で倒れている人を見て、私は見捨てて通り過ぎるわけにはいかない」と華原を見捨てるつもりはないと主張。彼女の才能がそう思わせることもつけ加えて説得したという。
2007年6月から芸能活動を止めていた華原朋美はこうした周囲の協力を経て昨年の12月5日に『FNS歌謡祭』で歌を披露して5年半ぶりに芸能界復帰を果たすのだ。そして、この日の『火曜曲!』では「I'm proud」~「I BELIEVE」~「LOVE IS ALL MUSIC」をメドレーで。そして、新曲「夢やぶれて -I DREAMED A DREAM-」をオーケストラをバックに披露した。
「大人になって歌詞の意味がより分かるようになった」と話す華原朋美は、なんと1曲目の「I'm proud」の出だしで泣き出してしまった。「♪Lonely くじけそうな 姿 窓にうつして…」のフレーズが歌えなかったのである。彼女にとってこれらのヒット曲を歌えば、作者の小室哲哉を思い出さずにはいられない。「一番辛かった」という破局した頃が頭をよぎったのだろうか。

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