2023年に亡くなった坂本龍一氏、余命宣告を受けて亡くなるまでの3年半の本人の日記と、映像からその軌跡を辿ったドキュメンタリー映画です。






余命宣告を受け、抗がん剤治療を受けるべきか逡巡しながらも、自分の音楽を作りたいと力の限り、病と闘い続けた3年半。


雨の音、雲の流れ、月の満ち欠けを見つめる姿、

そして最期のときまで音楽家として生きた姿に胸を打たれた。


命の終わりに向き合い、それでも音楽に注ぐ情熱には鬼気迫るものがあった。


世界の坂本としてまだまだ活躍して欲しかったです。

昨日の昼頃に飛び込んできた久米宏さんの訃報。


その直後からワイドショー、ニュース番組、今朝もモーニングショー、そして「徹子の部屋」と立て続けに久米さんを偲ぶ特集。

ついつい見続けてしまいました。



国民的人気番組と言われたザ・ベストテンの司会、

ぴったしカン・カンの司会、

そこから転じて日本のニュース番組を変えたと言われている「ニュースステーション」のキャスターに。



今やオールドメディアと揶揄されるテレビ界が元気だった頃の象徴的存在だったのかも。


ニュースを中学生にも分かるように易しく、そしてそれまではニュースでは自分の意見を言ってはいけないという常識を破ってのニュースショーは

当時、異彩を放っていました。



誰もが自由に発言できる社会と、再び戦争をしない社会、この二つがこの番組の目標だったと。



そんな久米宏さん、

TBS入社直後は天気予報が読めず、緊張のあまり胃腸炎になり、そこから栄養失調、そして結核と不遇の時代を送り、

再スタートを切ったのがラジオ番組「土曜ワイド・ラジオTOKYO」での中継レポーター。


そのラジオ番組こそ永六輔さんの番組で、そこで永さんに拾って貰ったのが転機になったと後日久米さんが語っているのを聞いてとても嬉しく思いました。



当時大学に入学したての私の週末のアルバイトがこの番組のお手伝いでした。

まだ新人アナ扱いの久米さんは、現場では「久米ちゃん」と呼ばれていましたが、

毎回、身体を張った中継レポにスタジオの片隅で笑いをこらえていたのも懐かしい思い出。



その後、ラジオからテレビに転じた久米さんが、自分の原点はラジオとおっしゃっていたのは嬉しく

土曜ワイドを出発点に活躍の場を広げて行った久米さん、今ごろは永さんと再会していらっしゃるのかな。



ご冥福をお祈りしています。





昨夜は霙がぱらつき、朝起きると車のフロントガラスは真っ白に凍結!


でも、箱根には降らなかったというアナウンサーの報告にホッとする。



そして、今日の復路は一番に出走🏃



今日は追われる立場、どうか無事に大手町までと祈る思い。


しかし、そんな心配をよそに、

6区から10区まで一度も首位を譲ることなく、独走状態。



こうなるとテレビ前観戦は、正直言ってあまり面白くない(笑)


抜きつ抜かれつの方が応援にも熱が入りますよね。


2位以下は、目まぐるしく順位が変わりました。

ちょっとテレビ前を離れて戻ってくると、順位が入れ替わっていましたから。



8区の塩出くんの快走で、もうこのまま大手町まで行けると確信。区間新記録でした!



近くに住む友人が、9区と10区に沿道応援に行くからと誘われたのを断り、

あとからやっぱり行けば良かったなんて思うほど、今日の結果は素晴らしかった✴️



大手町のゴールに飛び込む選手の姿にテレビ前で大きな👏を送りました。



二度目の三連覇、往路、復路、総合と新記録を出しての総合優勝でした!



原監督の「輝け大作戦」は

監督曰く「300%、輝きました!」と。



大きな感動を与えてくれた、母校の選手達、原監督、関係者の皆さま、お疲れさまでした!そしてありがとうございました。