ふり返って記憶を辿り、記しています✏️
病院へ向かう車中で破水。
赤ちゃんが出てくる。
救急外来の車椅子の上で、臍の緒を切る。
赤ちゃん、泣かない。
仮死状態。
NICUへ。
私も産後の処置をしていただき、病室のベットに移動しました。
“疲れた”、“痛い”、よりも興奮状態。
何より、赤ちゃんの様子が気になる•••
どれだけ経ったか、何時なのか•••
確認することも忘れてて、祈るような気持ちで横になっていました。
ついに、看護師さんに呼ばれ、車椅子でNICUへ。主人もいつの間にか横にいました(笑)
初めて入るNICU。
ベットやモニターがたくさん。
電子音が常に鳴っている。
『うちの子は?』
まだまだ奥へ奥へ。
いました、一番奥に❗
たくさんの管やパソコンみたいなので常に管理してくれて、静かに眠っていました。
『NICU来て、しばらくして自発呼吸がみられましたよ、お母さん。僕たちも、どうなることかと思いました。よかったです。』
と、先生が優しい笑顔で説明してくれました。
看護師さんが、私の背中をさすってくれてて、私はというと、止まらない涙•••
産後のボサボサ頭に加えて、泣き過ぎの目元。
初めてムスメと撮ったこのときの写真。
パパは、めちゃくちゃ笑顔。私と対照的すぎ•••
彼なりの達成感の表れか(笑)
私の処置中。不安と心配でいっぱいの中、看護師さんたちがうちの主人を探してる様子。たぶん荷物を受け取りたいみたい。
『パパ、おらんな〜。どんな感じの人やった?』
『うーん、ジャージの人❗』
思わず吹き出してしまいました(笑)
確かに、ジャージ着てた着てた。
あまり面識ない人が主人を端的に表現すると“ジャージの人”なんやと思ったら笑けてきて、このエピソードは、今でも主人と思い出して話して笑ってます😄
確かに、ジャージ多用してますけど(笑)
ムスメとのご対面を終え、私は病室へ。
パパはやっと帰宅。
その後、看護師さんたちが訪ねてきてくれて、色々と話しました。一人になり、怒涛の時間をふり返り、記憶の整理もしてみたり。
私が一番気になってたのが、車中で出てきてしまった赤ちゃんへの対応が適切だったかどうかでした。
看護師さんによると、
🐣とにかくお母さんが冷静でいること。
🐣衣類は身につけたままが良い。
(赤ちゃんの体温キープ・滑落防止)
🐣急いで病院へ。
『ママの対応は完璧だったよ』
この言葉にまた涙(笑)
赤ちゃんに謝ってばかりだった私。最悪ともいえる場面で最善を尽くせたのだとしたら、本当によかったです•••
でも、『冷静でいられた』というのとは、ちょっと違ってて、『ビックリしすぎて固まってた』というほうが近いです。
ずんずん進むお産。
溢れんばかりの生命力に圧倒されて、身を任せて受け入れるしかない状態でした💦
ズボン等は、出てきた赤ちゃんに押されて少しズレました。これも、感覚でしかなく、実際目視する勇気がなくて、最小限のズレで病院へ。
私の経験からは、ビックリして脱ぐっていうのは、あまり想像つきませんが💦
この日から、ムスメとのNICU生活が始まりました。
入院中は、3時間おきにNに通い、お世話の練習。私だけ退院後は、毎日通いました。
上の子たちのときは、産後1ヶ月ほどはゆっくりしてたのに、今回は、産後6日目から部屋着を着替えてスタスタ歩き、病院へ。
不思議ですね~
一度だけ、デイルームで待機中に謎の強い腹痛に襲われ(後陣痛かな?)、動けなかった記憶がありますが、それ以外は元気👍
ただただムスメに会いたくて🌷🌷🌷
そうそう、スマホに押されて最近出番激減のデジカメですが、NICUはデジカメのみ持込可でした📷
予定のある方、買い替えはお早めに(笑)
うちは、間に合わず古〜いので撮りまくってましたが😅