守護霊様から「失敗談をかいてみて」と言われて、一番の思い出したくない失敗を披露します。
私は記憶が有る頃から結婚前まで、両親に大切に育ててもらいました。
無条件に受け止めてもらっているのを感じていました。
うまく表現できないのですが、愛されつつ安心して生きられたことは、有り難いと思います。
その環境のおかげで、伸び伸びと、華やいだ気持ちで、過ごせました。
ん?割と当たり前っぽい?
今になって、よく考えてみると、
ただ心地よい環境で、ぬくぬくと育っただけかしら?
単なる甘やかされた女性になった?
そんな気がしてきたわ。
ところが、結婚したら真逆の扱いが待っていました。
関西の主人と結婚したので、基本的に「東京の女」扱い。
息子を取った女。目の前に居ないでほしい=無視。
私の料理は、子供とのシェアーという意味だったのか、一人分は盛られませんでした。
娘や息子を、私の目の前で平気で悪く言ったり、「杏家の血筋やな、こんなことする子は」と、言い放たれたことも、何度も。
「両親には喜ばれて生きてきたのに、嫁ぎ先からは全く喜ばれない」と悩みが深まり、とうとう7〜8年目の頃、鬱ぽくなりました。
主人は、姑の前では全くフォローしてくれません。
「自分の奥さんにそんな言い方しないでくれ。傷つけないでくれ。僕にとっては大切な存在なんだから。」
この決め文句を、ずっとずっと言ってほしかった。
なのに、「言えない」と。
理由は、その言葉で母親が狂ったように怒るのが目に見えてるし、怒らせたら手に負えないからだそう。
単なるモンスター母さんじゃない。
「一年のうち、ほんの数日の滞在だから、我慢してほしい。とにかく良い家族だと安心して貰えたら、それで充分なんだから」
帰省から戻り、大喧嘩の末に毎度主人からこう言われるのがお決まりのパターンでした。
全てを包み込んでくれた両親。
平気で嫌悪感をあらわにされた義理の両親。
この両極端すぎる状況から学んだことは、何だろうか。
約50年で、正反対の環境を、短期集中コースで学んだんだな〜と、今更ながら気がついた。
親から愛されることが失敗ではない。
義理の両親から無視されることが失敗ではない。
はて?なぜ失敗談にこの話を書いたのか?…と思っていたら、大きな宇宙の愛を感じ始めた。
両親の愛情は、そのまま我が子の子育てへ活用しました。
義理の両親から嫌われた為に、我が子を立派に育て上げて、将来ギャフンと言わせようという活力になりました。
あれ?どっちもすごいポジティブな産物が!
失敗談を書くはずが、失敗じゃなかったし、今に生かされているなら、全ての事に感謝だね。
それを改めて私自身が納得する事ができました。
ちなみに、今は姑一人になり、東京へ呼び寄せ、素敵な高齢者マンションに住んでもらっています。
ご機嫌でなにより。姑の世話をしながら、
「お母ちゃん、あのとき、私にあんなこと言ったけど、覚えてる?」と冗談ぽく振ると
「え?私、そんなことあんたにゆうたの?ごめんね。わすれてね。おばあちゃん覚えてないよ」て、手で口を隠しつついうの。毎回毎回コントみたいで、面白いのです。
良い時期があって、良くない時もある。そして違う良い出来事があって、別の悪い期間もある。
人生は常に常に、上下動する波に揺れてるのが、当たり前だね。
振り返ってみて、「あの出来事があったから、今のこの○○があるんだ」と思いつつ、前に進もう。
読んでくださりありがとうございます。
世界が平和でありますように。