ありがとうございました。そして、、、 | 三日月日記

三日月日記

長い不登校期間を経て学校へ復学したHSCの長女。姉のことが大好きな次女。

娘二人と夫とちいさなシアワセを毎日見つけながら、1日1日を大切に暮らしたい、そんな思いで綴っています。

お久しぶりです。

 

長女は、無事、小学校を卒業しました。

涙涙涙の小学校生活、最後一年だけは、笑顔で締めくくることが

出来ました。

長かった、つらかった、何度長女と涙したことだろうか。

いろいろなものを手放し、諦めた日々。闘いの日々。

 

完全不登校、家庭学習、放課後登校、フリースクール、適応指導、別室登校

そして、教室への復学。本当にフルコースを経験した小学校生活。

 

学校の対応や先生に激怒し、校長先生とも何度話し合ったことか、それでも最後は、娘の為に頭を下げた。

悔しくて、辛くて、何度も涙した。学校にこだわる必要があるのか、違う道もあるのではないか、と思ったし、違う道へ進むことも、ありだと思った。長女が、自分らしく居られる場所が一番。どこでもいい、そう思った。

不登校だった4年間、家庭学習、放課後登校や別室登校、適応指導教室にも通い、フリースクールや転校も視野に入れ、体験にも行った。家庭でずっと過ごすということも含め、ありとあらゆる選択肢から、最後に今いる学校への教室復学を望んだのは長女だった。「6年生から教室へ行く」長女が決めたことだった。

 

長女が不登校になった大きな要因は当時の担任の先生だけれど、長女を長い長い真っ暗なトンネルから救ってくれたのも先生だった。行けなくなってから4年間の間に、信頼できる先生との出会いがあった。離任される度に絶望してたけど、、、。

別れあり、出会いあり、、、。

子供にとって先生は本当に絶大なる存在だと痛感した。

長女も私も力を貸してくれる先生に出会えたことは本当に幸運なことだと思った。でも、きっとどこの学校にも一人、二人、いや、願わくばもっと、居てくれることを願うけど、絶対に力を貸してくれる先生がいると思う。その先生を見つけて力になってもらうことで、不登校の親子の生活は、学校に行けても行けなくても、大きく変わると思う。ストレスが減る!

 

長女は、卒業を目前に「小学校生活、いろいろあったけど、最後、楽しかった。行けるようになって良かった。ママ、ありがとう」と言った。

今は、中学校に通っています。

当たり前のように「行ってきます」と出ていき、

「おかえり」と迎える日々。

でも、当たり前ではないということを、決して忘れることはない。

 

卒業式後は、長女の学校から離任された先生が、

自宅に会いに来てくれたり、私たち親子が会いに行って卒業を報告したり、不登校だった4年間は決して、辛い、悲しいだけじゃなかった、と思うことが出来た。

長女を心から応援してくれた先生方に出会えたから。

(もちろん、分かり合えなかった先生もいる。)

 

こちらのブログは小学校生活卒業を機会に一旦、終わらせて頂き、今まで書き切れなかった思いを新たなブログで綴りたいと思います。そこでは、今まで書けなかったことも書きたいと思っています。

こんな拙い文章ですが、新たなブログも読んで下さる方へは、

ブログが整いましたらURLを載せますので、ぜひ、覗いてください♪

 

今まで長女を見守り、支えて下さった皆様、ありがとうございました(^▽^)