大久保諶之丞(おおくぼ じんのじょう)


1849年10月2日(嘉永2年8月16日)生まれ

1891年(明治24年12月14日)死去


明治期日本の政治家。

明治初期に四国新道(現在の国道32号、国道33号等の前身)、香川用水、瀬戸大橋を提唱した。


道路の改修や橋の架設など、産業振興の事業に熱意をもって当たり、国道32号線の前進にあたる四国新道の開削に着手しました。


なかでも丸亀•多度津から琴平を経由して、猪ノ泉峠に至る総延長38.382kmの讃岐新道は、道幅が最小6.3m、最大12.8m もあり、車のなかった時代に、今日の交通量の増加を当時から予測していたかのようです。


笑わしゃんすな百年さきは財田の山から川船出して月の世界へ行きまする


諶之丞が詠ったもので、先見性のあるスケールの大きい人物だったことがわかります。


1849年(嘉永2年)、8月15日に財田上の村石野 三豊市財田町)に生まれた諶之丞は、四国新道や香川用水の構想を提言するなど、時代に先がけた着想の持ち主でもありました。 この諶之丞の偉業をたたえ、その精神を受け継ぐために昭和61年から「諶之丞まつり」が戸川ダム公園で毎年4月に開催されています。

※戸川ダム公岡までは、車で5分くらいです。


【三豊市財田町】


作製:三豊市立和光中学校

2年 川崎 励央 篠原明日香 田村 真人

 近井美里 中山 里美 三野 白蕗

協力:まちづくり推進は開田

写真同好会 他地域の方々

設置:平成26年6月吉日


大久保諶之丞翁の碑


翁は塩飽諸島を橋台として本州との間に橋を架けると言う、現在の瀬戸大橋、また香川用水の構想を提言するなど、時代に先駆けた着想の持ち主でもあった。


翁は四国新道の完成を見ずに、42歳の若さで病没した。


若いガーン 早すぎるえーん


石碑は、翁の生涯、功績について、三島中州(みしま ちゅうしゅう 1831〜1919 二松学舎の創立者)、日下部東作(くさかべ とうさく 書家 日下部鳴鶴)※比田井天来(現代書道の父)の師、谷干城(たにたてき たにかんじょう 陸軍軍人 政治家)の三氏によって記されたものであり、三豊市指定有形文化財に指定されている。


令和5年3月 三豊市教育委員会


石碑