二宮忠八(にのみや ちゅうはち 1866〜1936)


香川県琴平から吉野川へ向かう途中に資料館と神社があった。


愛媛県八幡浜市が出身地らしい。


Wikipediaで調べてみると、割と意外な事実が出てきた。


四国に移る直前、石清水八幡宮や井出町に橘氏の痕跡を訪ねて回ったが、、


石清水八幡宮の社前に、飛行神社があった。


何と、二宮忠八が飛行機開発に携わった者の一人として、航空事故などで亡くなられた方の慰霊を祀る為に私費を投じて建立した神社で、自らが神主となったものだったびっくり


偉人ではあるが、世界的な存在ではないそう。

国内においても評価は定まっていないらしい。


確か、日本には江戸時代に空を飛んで世間を騒がせた浮田幸吉がいた。


乗船実習で岡山県玉野市に寄港した際に、資料を読ませていただいた。


今回の正月休みから戻る時、八幡浜市で標識か標石か何かを見て、二宮忠八が愛媛県出身と言うのを知った。


さらに今回、Wikipediaを見て、合併前の大日本製薬株式会社の会社員から支社長にまでなった人だと知り驚いた。

今は合併して住友ファーマだ。


愛媛県は別子銅山など、住友と縁があるようだ。


住友が、藤原純友の子孫と自認を示したとの説もあるが、藤原純友を斬殺したとされている橘遠保の任地は愛媛県だった。


金刀比羅宮を創始した長尾一族の宥雅は橘遠保の子孫だったらしい。


本当に、世の中、不思議と色々なことが繋がっていて面白いなあチュー




年末年始はお休みでした〜煽り