キリン造形作家 岡山富雄
きみたちは知らないだろうけど、ここに動物園があったんだ。お父さんやお母さんやおじいちゃんやおばあちゃんに聞いてごらん。
愛してやまない気まぐれな動物たちの物語シリーズ
作品についてのお願い
この作品は環境に優しい自然素材(木材片 紙パルプ)を独自に考案した特殊技法により制作されているデリケートな作品です。
取り扱いには十分な配慮をお願いします。
制作者 岡山富雄
岡山富男の愉快な仲間たち
(おかやまとみお 1952年〜 香川県坂出市在住の造形作家)
内装用の木材片を硬化させる特殊技法を考案し、造形作品に取り入れる。地元のまちかどアート「動物園シリーズ」では商店街や市内施設を巡回し好評を博した。大地の芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ 2018」(新潟県十日町市 津南町 協賛 ベネッセコーポレーション 2000年〜 3年に一度 2024年7月〜開催)の野外展に招待出品するなど活躍。
同姓同名の陶作家がいるのだろうか
それとも同一人物なのだろうか
調べたところ、生年月日が異なる別人と判明!
陶作家は、1999年に瀬戸窯業高等技術専門校(デザイン課)で、主に染付を学び、2007年からアトリエを構えて、半農半陶の陶芸活動をしているらしい。
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1970年、愛知県名古屋市生まれ。
1991年、東京デザイナー学院名古屋校卒
その後、プロダクトデザイナー勤務
1999年、愛知県立窯業高等技術専門校卒
上記作品は、内装業で培った技術を活かし、15年ほど前(2022年時点からなので2007年)から創作を始めた造形作家の作品でした
岡山富男の愉快な仲間たち
御林守施設及び栗林公園動物園跡地
江戸時代このあたりには庭園を管理する職人たち(御林守)の施設がありました。
明治後期にそこに動物園ができました。
子どもたちが動物たちと身近に触れ合える場として県民に親しまれ夢や明るい話題をもたらしてくれました。その動物園も惜しまれながら平成16年に閉園しました。
御林守(おはやしもり)
江戸幕府直轄の保護林。
幕府御用木と公共土木用材の補給を目的として幕府領内に設定されたものが大部分で、御林奉行の所管に属したが、今日の保安林に相当するものも少なくなかった。
料所林、公儀林、御立山、御山ともいう。
なお、私領での同種の保護林は、御本山、御直山、御山、御留山、御建山ともいった。
ともに明治初年に官林に編入され、のち、国有林となって今日に至っている。
栗林公園の沿革
栗林公園の起こりは、16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、西南地区に築庭されたことに始まると言われ、1625年頃に、当時の讃岐国領主•生駒高俊公によって紫雲山を背景に南湖一帯が造園され、現在の原型が形作られました。
その後、1642年に生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩主•松平頼重公(水戸光圀公の兄)に引き継がれ、1745年5代頼恭公の時に、園内六十景の命名をもって完成し、明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用されました。
明治8年(1875年)に県立公園として一般に公開されるようになり、昭和28年(1953年)には、文化財保護法による特別名勝に指定され、今日に至っています。
生駒高俊(いこま たかとし 1611〜1659年)は、江戸時代前期の大名。讃岐国高松藩4代藩主、出羽国矢島藩初代藩主。高松藩第3代藩主生駒正俊の長男。
東門(切手御門)
東門(切手御門)
江戸時代には「切手御門」と呼ばれ、藩士たちの通用門とされていた。
手前、外堀に架かる橋は、かつては高松城の外濠に架かっていた「常磐橋」の一部を移築したもの。