旭社


右御本社👉


浮き彫りの人物が着物姿。

いつの時代のものだろうか?

再訪時に確認してみるニコニコ


願主 平野屋佐吉


大阪の平野だろうか?


調べてみたところ、堺筋の長堀橋に店を構えていた船宿の名前か平野屋らしい。


関連書籍は2万円以上の値段が付けられているびっくり

やる気まんまんの商売人だったのだろう。


江戸時代後期の人物で、明治初年頃に金毘羅図絵など多数の印刷物を発行しているようだ。


明治大学、郵政博物館、早稲田大学などに様々な資料が遺されている。

天保8年(1837年)、建立

旭社二字の額は、綾小路有長の筆

楼上 '降神観' 三字の額は、中国清時代の書家 王文治の筆である


150年ほど前と書かれているのは、標識自体が今から50年近く前のものだからなのだろうにっこり


綾小路有長(1792〜1881)

宇多源氏 羽林家 子爵 正二位権大納言

篳篥(ひちりき) 和琴(わごん)

谷中霊園


王文治(1730〜1802)

能書家 詩 音楽


香川三菱農機販売株式会社

 代表取締役 高木章二


旭社 二字の額 綾小路有長の筆


旭社


祭神

天御中主神 あめのみなかぬし

高皇産霊神 たかみむすび

神皇産霊神 かみむすび


天地開闢の神々を祀る

社殿は天保8年(1837年)の建築

総欅造二重入母屋造で天保建築の粋をあつめたといわれる

楼上'降神観'額は清朝の書家王文治の筆である



旭社は、元々は金光院というお寺さんの金堂で、神仏分離時に金刀比羅宮の中の1社になった。


旭社は金刀比羅宮全体の中で最大の建築物だが、


帰りにお参りすることになっている。


旭社の楼上の扁額には「降神観」とある。


海で遭難しかけた時、金刀比羅の神が降りて来るのを観たからだそうだ。


十返舎一九の「金毘羅道中膝栗毛」に、この額を見たと書かれている。



境内禁煙


重要文化財


建造物 表書院 一棟 奥書院 一棟


前方の表書院は四国における代表的な書院造、3百数十年前の建物で桃山時代の形をよく残し屋根の線も美しい、建物中応挙の傑作鶴の間、虎の間、七賢人諸侯の間などをおさむ

また奥書院もほぼ同時代のもので伊藤若冲•岸岱(がんたい)筆の多くの襖画がある。


次回は、昼間に行って見学しなければプンプン


神椿


←御書院入口 神椿→


重要文化財 建造物 襖画 書院

表書院一棟 円山応挙筆 奥書院一棟 伊藤若冲


書院