釣島灯台(つるしま)


明治期の灯台建築は、灯台の管理•運営も含めた'灯台の技術'として輸入されたもので、その周りの官舎などを含めた一連の施設として完成させられたもの。


松山市は、1995年(平成7年)、国からの払い下げを受け、釣島灯台の旧官舎•倉庫を市の文化財に指定し、三か年かけて修復した。


釣島灯台の概要


1871年(明治4年)に着工

1873(明治6年)に完成

洋式としては全国で二十番目の灯台。

イギリス人技師R•H•ブラントンが設計

愛媛県内最初の西洋式建築


松山市興居島沖にうかぶ釣島灯台は、 海の安全を守るため、1873(明治6年)に完成しました。イギリス技術者のブラントンによって設計された愛媛県内初の西洋式建築です。





坂の上の雲ミュージアム


館内の、展示室の展示物は撮影禁止。

図書スペースや企画コーナーのようなガラス窓側のスペースに置かれたものは撮影可だった。


展示物としては、坂の上の雲が新聞小説として掲載されていた当時の写真や、当時の新聞、坂の上の雲の主人公である正岡子規と夏目漱石の愛媛での交流の痕跡、正岡子規と秋山真之の交流、秋山好古や秋山真之の信書など。


東郷平八郎の字は王羲之みたいな字で一番立派だと感じたが、個人的には、秋山真之の書体で字を書けるようになりたいと思った。


企画コーナーでは、明治期の学校教育に使われていたらしい様々な教材が置かれていて、実際に手で触れて動かしたり覗き込んだりして、当時の教育の一端を知ることが出来た。


読み書きに使われていた巨大なカルタみたいな板や、活動写真(立体視)を体験する為の赤い写真と青い写真を前後に動かす装置など、興味深いものがたくさんあった。


なにより、萬翠荘を室内から眺めながら食事出来るなんて最高に贅沢なことじゃないだろうかグラサン


良いなあ〜と思った。


今回は、知らなかったので飲食物は持ち込まなかったけれど、次回は見苦しくない程度に飲食物を持ち込んで、優雅なひと時を過ごしてみたいニヤリ


また訪れる機会がありますように!