松山城を見終わり、城山公園を出て子規ミュージアムへ向かう途中で、輪行袋を駅前ロータリーに忘れてきたことに気付き、Uターン!ガーン


交番に届けられていて、無事に受領。

大変お騒がせしましたチュー

JR松山駅 地下道 西口


昭和レトロな?地下道。岩手県の盛岡駅を思い出してしまうニヤリ

北口の、盛楼閣のある方の。

反対側はなぜか西口バス停?

再開発が進み、近未来的景観になってる。

高速バスの発着で何度か通った照れ


松山駅には、改札口は一箇所しかないらしい。

将来的には、新幹線かリニアが開通することもあるだろうか?


伊良湖水道から伊勢、奈良を抜けて、和歌山から地の島、淡路島を通って、四国の佐田岬半島から九州の佐賀関の手前の、高島から津久見島までの約20kmくらいの海上にメガフロートがあれば宮崎県の日南市まで、湾曲しながら殆ど直線で繋げるとおもうんだけどな。


長さ100m×幅50m×高さ30m(深さ20m)くらいの浮体を、地球の北半球における反時計回りの自転方向と、速吸瀬戸の潮流に適した、ハニカム構造と言うか、ジャイロ構造と言うか、どんなローリング(横揺れ)でも、ピッチング(縦揺れ)でも、ヒービング(上下揺れ)でも、ヨーイング(船首揺れ)でも、サージング(前後揺れ)でも、スウェイング(左右揺れ)でも、リニア軌道を安全に走行することが可能な制御が可能な状態で、複数(約20〜30前後)を連ねて運用することが出来るなら可能だが。


揺れまくる水面の表面に揺れの少ない液面。


例えば浮体と浮体を橋台(アバット)と橋脚(ピアー)とした、海面上の不安定な浮体間に、ジェット水流を噴出する装置を備えさせて、リニア通過時に限り、ジェット水流の噴出に合わせて、リニアモーターカーが潜り抜ける為の、両端が開いている円筒状の袋構造に軌道を敷設ないしは非設した、緊急脱出用シューターのような海上軌道とか。


やりようによっては、何かしら手があると思う。


速吸瀬戸の海底が深さ300m〜400mの海食釜の為、海底トンネルは不可能。


入射角の関係から出入口が遠くなり過ぎて、傾斜が大きくなる為、リニアや新幹線には適さない。


適当な大きさの浮体に必要な重石を着けて、必要時に橋として機能するような形で運用するのが最も簡便で平易な方法かと思う。


周辺海域の航路を利用する船や人や動植物や漂流物への対策をしなければならないが。


JR四国が単独ないし共同で四国新幹線の開通を目指すよりは実現度が高くなる気がする。


先ずはリニア軌道が吉野川から四国中央辺りを駅として九州と本州を結ぶ。


四国新幹線はJR四国の路線が十分な収益を見込める利用者数になってから、徳島県の鳴門市から高知県の室戸市と、高知県の高知市と四万十市の2本を通すようにすれば良いんじゃないだろうか。


都市鉱山だけではなく、いずれは地方の再活性化をしていかなければならない。


日本は、このまま移民は認めない形で外国人労働者の方には、都市部での就労機会の増強を図り、帰化した方も含めた日本人には、地球上の国や地域の歴史や文化や伝統に誇りを持って中山間地の鉱業も含む農林水産業への自発的な従事を可能とする、パワーアシストスーツのような肉体労働に伴う負荷の軽減や、一般的にドアトゥドアを僭称している自動車とは異なる、どこでもドアのような感覚のリアルなドアトゥドアを実現する移動用機器など、健康を保つ安全性が高い職場環境や、健全に過ごす為の趣味や娯楽を嗜める生活環境が与えられると良いんじゃないかと思う。


つまりは、よく学び、よく働く時間が長い人ほど最先端の技術の恩恵を受け取り、都市部において高度医療や上質のサービスを享受する時間が長い人ほど旧来の福祉的な環境に留まる。


そう言う形にするべきではないだろうか。



萬翠荘(ばんすいそう)について


萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる 久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。

陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであります。また、裕仁親王(昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられております。

萬翠荘は戦資を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となりました。

その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。

建築その物も美術品ですが現在は、絵画、掛け輸、伝統芸術品、各種イベント、個展を随時行っています。


正岡子規の座像


隣に椅子があり、同席可能ウインク


子規の湯呑みにはコーヒー豆が入っていた笑い泣き

とってもビターな芳しい香りだったかな


春や昔 十五万石の 城下哉

 子規


子規ミュージアムの模型


安藤忠雄の作品


東京大学予備門の試験と子規


正岡子規の ある日の食事


秋山真之(さねゆき)と広瀬武夫


秋山真之みたいな字が好きラブ

こんな字なら手紙を出しまくりたくなれるおねがい

※漫画家の高田雄三氏の手書き文字は似てる


残念ながら東郷平八郎みたいな字なんだよねショボーン

※習字の師範から王羲之のような字と評されたが

(蘭亭序を著わし書聖と謳われた人)


僕もまた求める理想像と実際の心技体とが大きく乖離している人間の一人


だからこそ人格の多重化に挑んでいるのかって言うくらい訳の分からない意味の無さそうな努力を努力と思うことが出来ないくらい、のらりくらりしながら楽しみながら生きることが出来ている。


あらゆることに感謝するしかないってばよニヤリ



装甲巡洋艦 春日


アルゼンチンが発注し、イタリアの造船所が建造中だった艦船を、山本官兵衛海軍大臣、小村寿太郎外務大臣らが、関係国と折衝し、1903年(明治36年)12月に購入。

日露戦争の日本海海戦で主力として活躍した。


子規ミュージアム館内から窓越しに眺めた萬翠荘の姿


まっこと。げに良い場所に建てたねや!爆笑