遠くに薄っすら見えるのは八幡浜市
下に見えるのは砂浜
降り口らしい場所は見当たらない
海からボートか泳ぐかして行くしかなさそう
塩成(しおなし)の一宮神社の石垣
故 海軍水兵長の墓
薩摩藩の島津家の家紋 丸に十の字
※二匹の龍の姿を象ったもの
※2本の箸を組み戦勝祈願とした咒(まじない)
【ネット情報】
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元々は十字だけだったのが、江戸時代に当時の流行に沿う形で、丸を付け足したものらしい。
私見では卍は龍。
サンスクリット語のシュリーヴァッツァ(スヴァスティカ)は、ヴィシュヌ神の胸毛を意味する。
中国の龍は、元々はインドのナーガ。
仏教の八大竜王はナーガラージャ(ナーガの王)。
ナーガとは、インドコブラを神格化した姿。
東南アジアのインド文化圏においては、頭が7つある姿で表されている。
※南伝仏教(釈迦の光背)
南伝仏教=上座部仏教(現存最古の宗派)
すなわち、頭が7つの蛇≒龍(腕を持つ蛇)。
1つの頭と左右に3つの爪を持つ巨大な蛇。
※日本の龍
中国の龍は5本の爪。
朝鮮の龍は4本の爪。
日本の龍は、7つの頭を持つナーガ。
八幡大神の神紋の三つ巴は、後世に神紋とされたらしいが、八幡の語の初出自体が、797年に成立した続日本紀の天平9年(737年)の部分だそうで、ヤハタと言う訓読みだったのが、仏者により音読みで扱われるようになったとされている。
八幡神に関しては、720年に勃発した隼人の乱の際に宇佐神宮で神託を仰いだところ、八幡神自ら征討に赴いたと言う話や、749年に奈良の大仏の建設に際して聖武天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗って入京し、大仏の完成を助けたと言う話から、当代の八幡神は行基上人(菩薩)だったのではないかとの考えに至る。
※行基(668〜749)
"
天平勝宝元年(749年)、大神朝臣杜女(おおがのあそんもりめ 宇佐八幡の禰宜尼)らが上京し、八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したと伝えた。
天応元年(781年)、宇佐八幡は朝廷から八幡大菩薩を贈号、鎮護国家•仏教守護の神とされた。
八幡神は全国の寺の鎮守神として勧請されるようになり、八幡神が全国に広まり、後に、本地垂迹においては阿弥陀如来が本地仏とされた。
※日蓮は阿弥陀如来説を否定
(八幡大菩薩の本地を釈迦牟尼仏とした)
八幡神を応神天皇とする記述は、"古事記" "日本書紀" "続日本紀"には見当たらない。
八幡神は本来、応神天皇とは無関係だった。
"東大寺要録"(12世紀初めの成立)や、"住吉大社神代記"(731年の成立)において、八幡神を応神天皇とする記述が登場したことで、奈良時代から平安時代にかけて応神天皇と八幡神が習合し始めた。
宝亀8年(聖武天皇の756年に崩御し758年に勝宝感神聖武皇帝と諡されてから19周年の777年)に八幡神が出家し、天応元年(781年)に八幡大菩薩が贈号された。
【八幡宇佐宮御託宣集】
【石清水八幡宮并極楽寺縁起之事】(奥書)
八幡神社の総本社は宇佐神宮(宇佐八幡宮 大分県宇佐市)。農耕神 海の神とされる。
※柳田國男は鍛冶の神と考察している
欽明天皇の時代(539〜571年)に大神比義命(おおがのひぎ)が創祀されたもの。
欽明天皇32年(571年)1月1日に、誉田天皇広幡八幡麿(誉田天皇は応神天皇の国風諡号)と称して八幡神が表れた為、八幡神は応神天皇としている。
【八幡宇佐宮御託宣集】(1313年 神吽が編纂)
※宇佐八幡宮の社伝
大分宮(大分八幡宮 福岡県飯塚市大分 だいぶ 嘉穂郡旧筑穂町)を、宇佐神宮の本宮で筥崎宮の元宮である【八幡宇佐宮御託宣集】(宇佐八幡宮由緒書)との話は、創建年が合わないので疑わしい。
[Wikipedia]
宇佐八幡をはじめとした八幡宮と大神氏は、巴紋を神紋としている。
" 【Wikipedia】(八幡神)
"
巴紋の巴は、ともゑ(ともえ)と読み、鞆(弓具)を図案化した鞆絵とする説や、勾玉の図案化とする説などがあるが、世界各地で古代から用いられて、日本でも縄文時代の遺跡から出土している。
後に、水が渦巻く様子と解釈され、本来は腹這いになった人の姿の象形文字である巴が、ともゑを表す漢字として宛てがわれるようになった。
平安末期には火災除けとして、巴紋を施した軒丸瓦などを葺くようになっていった。
後には武神(八幡神)の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋を神紋として用いるようになった。
巴紋には、単独の巴という紋はなく、数 形状 向きなどにより、多くの種類が用いられている。
1つから3つの巴を円形に配し、それぞれを、一つ巴(ひとつどもえ)、二つ巴(ふたつどもえ)、三つ巴(みつどもえ)と言う。
他に九曜の配置に三つ巴を9つ並べた九曜巴 板倉巴、三つ巴の内側輪郭のみを残した抜け巴、尾の長い尾長三つ巴などがある。
三つ巴(みつどもえ)という言葉は、3つの勢力が拮抗し、鼎立している様子の意味にも用いられる。
また、巴紋そのものではなく異なる種類の例えば、藤紋の一つ藤巴のように渦を巻くように配置されたものを、なになに巴などと呼ぶものもある。
" 【Wikipedia】(巴)
以上のような来歴を持つ、卍と巴には、何らかの相関性があるものと思われる。
島津家は新羅に由来する家との謂れもあり、家紋である十字は、伏羲と女媧とも考えられる。
※人頭蛇体の兄妹神
写真では分かりづらいが、雨樋の部分だけ石垣が窪んでいる
愛らしい狛犬
尾っぽは太鼓橋のような造形
敬神愛国 国家安康
境内の狛犬は迫力満点
歌舞伎か京劇のよう