QOD(クオリティ オブ ドゥーム)

-運命の質- という考え方

これまで人は、何のために生れ、何のために死に、生命がどこから来てどこへ行くのか、何も分からず多岐亡羊の彼方をさ迷っていた。

しかし情報化社会に至り、それらの答えが朧気に見えてきたことから、すべての可視化と数的制御が可能に成り始めている。

私見では、保険は、個人の言動に連動して、掛け金や補償額も変動するべきだと考える。

学校教育は、受験を撤廃し、誰もがより良い教育を受けられるようにすれば良い。
一つの場所を共有できる人数には、限りがあるが、多くの教育を共有できる人数には、 限りはない。あとは、仕組みの上での問題だけ。

人は、死ぬために生まれ、生きるために死ぬ。

結果論的に順を追えば、生きていれば死ぬことは、確かなことだと思う。
類推的に進めれば、死は他の全体的部分を生かす為に訪れた変化のうち、表面的に知覚可能な現象。

生命は太陽圏内から来て、太陽圏内に留まる。

肉体や精神の器は、身近な循環(地球圏)の内側で、男女や雌雄、または別の機構から生成されるが、生命の熱源は、太陽がおおもとだろう。

太陽圏が移動中の外宇宙との間に生じる摩擦熱は、死者の魂のうち、磨耗減衰が足りないものが外殻の形成に充当され、一定以上の減衰によって太陽光の光源へと運ばれていくと考える。

心とは、「乞う+ころ」で、「ころ」とは「自」であり、「転」であるところの「制御可能な何か」。

この「制御可能な何か」を制御可能な状態として願うことが、すなわち「こころ」だと思う。

同じ流れで、所とは、「問う+ころ」で、
「制御可能な何か」の制御を問うこと。
制御を計画している空間が「ところ」。

「運命の質」とはQOL(生活の質)を元に考案した、運命に関する指標だ。

生活の質は、衣食住の内容を要素として、生老病死それぞれの健全性を向上させることで、生きること自体の質を上昇させようという考え。

現状の向上に目を向けたものである反面、過去の、原因に対しては積極的に意識付けするものではなく生命全体的な見地からは不満が残る指標と言える。

それに対して、運命の質は、生まれた時から死ぬ時まで、あらゆる時間における生命的な存在、意識の自存に気を配り、心(制御の中心)からの変化を肉体や精神の実体に与えていこうとする試みになる。

具体的には、膨張したら収縮させ、緊縮したら緩和させるなど、一定以上の摩滅が全体に隈無行き渡り一方的な裁断の突発的な発生は、出来うる限り回避しようとする狙いがある。

自殺とは、遺書のある自死。
それ以外は、異常死として、事件性がないかどうかを始めとして、死因究明のために、監察医が検死を行うことになる。

何れにせよ、自己の制御が不全だった結果を受けた死と言える。

自他共に生命循環の一部としての自覚を強く持ち、自己制御の当然性を必然的に可能とする社会の構築を心掛けていきたい。

運命(偏向性の助長による突発的な生命活動の断絶)だけは、何としても食い止めなければならない。

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 参照
Wikipedia
カシオ電子辞書

 #QOD #運命の質